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  • アリゾナ移民法を考える[Part I]日本でも強まる不法滞在者規制 ──こさせない・はいらせない・いさせない Arizona Immigration Law, Part I

    アリゾナ移民法を考える[Part I日本でも強まる不法滞在者規制 ──こさせない・はいらせない・いさせない

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    私が本稿を起稿したのは8年ほど前の2010年ですので時代にそぐわない記述もありますが,しかしその骨子は,現在でも十分に通用するものと思います。

     

    アリゾナ移民法の背景

    米国のアリゾナ州で不法移民の規制を目的として2010年4月に成立した移民法は,連邦政府による差止め請求が連邦地方裁判所で認められたため,現在,施行が停止されています。ただし,差止め決定は警察官による不審者に対する職務質問などいくつかの条項についてのみで,アリゾナ州政府はこの決定に控訴するとともに,差止められなかった条項については実施に踏み切る方針を明らかにしています。

    米国の不法移民は1100~1200万人と推定され,その半数がカリフォルニア州,テキサス州,アリゾナ州などメキシコと国境を接する州に集中しています。アリゾナ州の総人口は660万人で,そのの30%(200万人)が中南米出身のヒスパニック系です。ヒスパニック系住民のうち45~50万人は不法移民と考えられており,州の人口に対する不法移民の割合が全米で最も高くなっています。移民法の各条項のなかでも,不法滞在が疑われる人物に対する職務質問を警察官に義務づけた点がヒスパニック系に対する人種差別・人権侵害であるとの批判が大きいのですが,人口の10%に迫りつつある不法移民の増加に州政府が強い態度で望もうとすることは社会政策論的にみても無理からぬことで,一概に人種差別的・非人道的法律と否定し切れない面があります。批判がある一方で移民法に賛成する米国国民も少なくなく(*1),オクラホマ州,ユタ州,サウスカロライナ州でも同様の移民法制定の動きがあるようです。

     

    日本での規制強化 
    「こさせない・はいらせない・いさせない」を基本方針に

    海外に居住する私たち日系移民や日本人留学生にとっては,アリゾナ移民法を人種差別的と単純に批判できないもうひとつの要素があります。それは,母国日本における外国人に対する規制の厳しさはアリゾナ移民法に勝るとも劣らず,しかもその規制が一層強まる方向にあるからです。

    日本では出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」)によって外国人の出入国を管理し,また,90日以上在留する中長期滞在者に関しては外国人登録法(以下「外登法」)によって日本での在住状況を管理しています(*2)。日本では出国審査により出国許可を得なければ何人(なんびと)も出国できないなど,元々,出入国管理の厳しさには定評がありましたが,にもかかわらず1990年代に不法滞在者が急増し,不法就労の増大,外国人による犯罪の多発化,特に外国人組織犯罪の増加などにより治安が悪化し,社会不安が増大しました。これを受けて法務省入国管理局,不法滞在者が集中する東京都,そして東京都を管轄する警視庁が中心となり不法就労・不法滞在の摘発を強化するとともに,入出国審査をより厳格化するなどの強力な規制策を取ることになりました。

    この規制がいかに強力であるのかは,入国管理局が規制方針として設定した『こさせない,はいらせない,いさせない』という標語の力強さにはっきり表れています。まず『はいらせない』からご説明すると,これは入国審査を厳格化して在留不適格者の入国を阻止しようとするものです。そのために入国時に行われる資格審査をより慎重に行うだけでなく,偽造旅券の発見技術の向上や在留資格認定証明書制度(*3)の活用,また最近では指紋などによる個人識別情報の確認が行われています。『いさせない』は,既に入国している外国人の不法就労・不法滞在の摘発を強化し,また罰則を重くするとともに,不法滞在者の出国を促す出国命令制度(後述)の導入などにより不法滞在者数を減らそうとするものです。そして『こさせない』ですが,これは『はいらせない』と『いさせない』を徹底することで,日本の入国審査や不法滞在の罰則が厳しいことを海外に知らしめ,それによって不法滞在を目的とする日本への入国を思いとどまらせようとする予防的効果をねらったものです。

    では,この標語のもとに行われてきた規制強化の“成果”をFIG. 1でご覧いただきましょう。日本では不法滞在を不法在留と不法残留のふたつに分けています。不法在留とは日本に上陸許可を得ずに不法に入国した者がそのまま日本国内に在留することをいい,不法残留とは,上陸許可を得て日本に入国した者が認められた在留期間を経過した後も在留すること(オーバーステイ)をいいます。FIG. 1はこれら不法滞在者のうち,推計が比較的容易な不法残留者について1990年~2009年の推移を見たグラフです(*4)。

     

     

    FIG. 1でまず目につくのは,1990年代に急増した不法残留者数が2000年以降に著しく減少し,2009年には1990年の水準まで低下したことです。では,このような成果を挙げた主な規制策についてグラフを見ながらご説明します。

    1990年(平成2年)以降増加した不法残留者は1993年(平成5年)に約30万人とピークを迎えます。これを憂慮して1995年(平成7年)より,不法滞在・不法就労の摘発が強められ,不法残留数は漸減(ぜんげん)しましたが,27万人前後の高い水準を維持しています。

    そこで2000年(平成12)年に入管法が大幅改正され,退去強制処分(国外追放処分)を受けた者がその後に日本への入国を拒否される上陸拒否期間が1年から5年に大幅に延長されました。それに加え,不法滞在そのものが犯罪行為であることを明確に規定する不法在留罪と不法残留罪の条項が入管法に新設されました(70条2項および5項)。罰則はいずれも3年以下の懲役または禁固もしくは30万円以下の罰金(その後300万円以下に増額)です。

    改正前にあっては不法滞在は入管法違反として退去強制処分の対象ではありましたが,犯罪行為とはされていませんでした。この改正で不法滞在が犯罪行為とされたことは大変に重要な点です。これはアリゾナ移民法とも関係しますが,警察官は不法滞在が疑わしい人物に対しては犯罪を犯している,あるいは犯そうとするおそれがある者として合法的に職務質問できるようになるからです(詳しくは次回Part IIでご説明します)。

    2000年の入管法改正の影響は大きく,改正法施行の直前には従前の入管法の適用(退去強制処分後の上陸拒否期間が1年で,犯罪歴とならない)を受けようと多数の不法滞在者が入国管理局に自主的に出頭しました。FIG. 1で2000年以降に不法残留者数が大きく減少し始めるのはこの法改正が引き金になっています。

    そして2004年(平成16年)には,過去に強制退去処分等を受けた者が再度,強制退去処分を受けた場合の上陸拒否期間が5年から10年に大幅延長されるとともに,前述した出国命令制度が創設されました。この出国命令制度は,在留期間を過ぎても国内に在住する不法残留者のうち,自主的に入国管理局に出頭するなど一定の要件を満たす者については,身柄拘束をともなう退去強制処分を行わずに,出国命令を発行して自主的な出国を促そうとするものです。出国命令により自主的に出国した場合は上陸拒否期間が1年に短縮されます。つまり,一方では不法滞在(不法入国による不法在留と在留期間を過ぎた不法残留)を厳罰化し,摘発を強化するとともに,他方では在留期間中に出国しなかった不法残留者の自主的出国を促す措置を取ることで,不法滞在者を日本に「いさせない」ようにするものです。

    さらに2007年(平成19年)には入国時の外国人に対する指紋登録・写真撮影による個人識別情報の採取が開始されました。これを拒否した場合は上陸拒否・強制送還の対象となります。

    これらの規制強化の結果として,2009年(平成21年)の不法残留者数はピーク時の1993年(平成5年)の約3分の1まで減少しています。入国管理局は,今後も引き続き不法滞在者の縮減に努めるとともに,特に偽装結婚,偽装留学など身分を偽って不法就労や目的外活動を行う外国人の摘発に力を入れる方針です。

    アリゾナ移民法では警察官による職務質問が問題とされていますが,日本では外国人に対して在留資格や在留期間を質問する権限は警察官だけでなく,出入国管理に携わる入国審査官と入国警備官はもとより,捜査権・逮捕権を有する海上保安官,麻薬取締官,公安調査官にも,さらには外国人登録に従事する国・地方公共団体職員および職業安定所職員まで,法律によって広く認められています。

    アリゾナ移民法を考える上で参考になりますので,次回(Part II)にその詳細をご説明するとともに,日本で2012年(平成24年)に実施が予定されている新たな規制強化策──外国人登録制度の廃止と新たな外国人在留管理制度の導入──についてご説明いたします。それに続くPart IIIでは,日本における規制の状況をふまえた上で,アリゾナ移民法の問題点を考えたいと思います。

     

    *1:CNN Politicsによればおよそ半数の米国人がアリゾナ移民法を支持しています。
    “Arizona Immigration law divides Californians” CNN Politics, May 31, 2010
    http://politicalticker.blogs.cnn.com/2010/05/31/arizona-immigration-law-divides-californians/?iref=allsearch
    “CNN poll: Most back Arizona law but cite concerns about effects”, CNN Politics, July 28, 2010
    http://www.cnn.com/2010/POLITICS/07/27/poll.immigration.discrimination/?iref=obnetwork

    *2:入管法は出入国審査手続が日本人にも適用される点では日本人にも関係した法律ですが,ほとんどの条文は在留資格など外国人に関するものです。入管法も外登法も外国人を“管理する”という色彩が非常に濃い特異な法律です。

    *3:在留資格認定証明書制度とは,査証(ビザ)の取得申請が日本の在外公館を通して行われるのに対して,外国人本人または代理人が日本国内で直接申請するもので,入国目的が入管法に定められた在留資格のいずれかに該当することの証明を求める制度です。在留資格認定証明書を得た後に査証の申請を行うことになりますが,証明書発行の手続が迅速に行われることから,申請者にとっては査証取得までの時間が短縮されること,入国管理局にとっては在留資格認定の基準が従来よりも明確化され,入国審査の適正化につながるという利点があり,現在では査証を取得するにあたりこの制度を利用することが一般的となっています。

    *4:グラフは法務省入国管理局白書「出入国管理」平成15年度版および平成21年度版より本稿著者が作成しました。なお,不法入国による不法在留者数についてはピーク時で3万人程度であったものが2009年の段階で1.5万~2.3万人に減少したと推計されています。
    平成21年「出入国管理」(日本語版):
    http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan90.html
    平成21年「出入国管理」(英語版):
    http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan91.html

     

     

    Copyright © 2010-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

     

    本稿はJapanese Canadian Community Organization of Victoria発行のJaponism Victoria, vol.5 no.6, 2010 に掲載された記事「アリゾナ移民法を考える[Part I] 日本でも強まる不法滞在者規制-こさせない・はいらせない・いさせない」に加筆修正をしたものです。

     

    本稿のPDF版を以下のリンクよりダウンロードすることができます。

    https://japonismvictoria.com/library/sod100901.pdf

     

     

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  • アリゾナ移民法を考える[Part II]警察官の職務質問と日本の新外国人在留管理制度Arizona Immigration Law, Part II

    アリゾナ移民法を考える[Part II警察官の職務質問と日本の新外国人在留管理制度

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    警察官の職務質問

    私たちはテレビや新聞などのマスメディアを通じて世界で起きる様々な出来事を知ることができます。その意味でマスメディアは私たちにとって大変にありがたい存在ですが,マスメディアから情報を受け取るときに気をつけないといけないことがひとつあります。それは報道内容を鵜呑(うの)みにしないことです。社会で起きる出来事にはいろいろな見方・とらえ方ができるのですが,メディアで報じられるのはそのうちのひとつかふたつです。また,メディアには視聴者・読者に興味関心を持ってもらわねばならないという宿命がありますので,各メディアの報道の仕方が自ず(おのず)と似たものとなる傾向があります。つまり,ある出来事についていくつもの見方・とらえ方があるはずなのに,どのテレビも新聞も同じ見方やとらえ方,報道の仕方をしているということがよくあります。

    アリゾナ移民法もその例に漏れません。読者の関心を惹(ひ)きやすい人種差別や人権侵害という人権擁護的観点からの批判報道はよくなされますが,それ以外の問題点は報道内容からはなかなかみえてきませんし,また,アリゾナの社会秩序を守るためにこの移民法が有効か否かという最も重要な点もあまり論じられていません。メディア報道にはそういった偏(かたよ)りもあるということ認識しておくべきでしょう。

    今回はこのような観点から,警察官の職務質問に関するアリゾナ移民法と日本の出入国及び難民認定法(以下「入管法」)および外国人登録法(以下「外登法)の考え方の違いをみてみたいと思います。

    アリゾナ移民法の中でも人種差別と批判の多い警察官の職務質問ですが,これに関する条項は具体的に以下のようになっています(*1)。

     

    Article 8

    B.  For any lawful contact made by a law enforcement official or agency of this state or a county, city, town or other political subdivision of this state where reasonable suspicion exists that the person is an alien who is unlawfully present in the United States, a reasonable attempt shall be made, when practicable, to determine the immigration status of the person. The person’s immigration status shall be verified with the federal government pursuant to 8 United States Code Section 1373(c).

    E.  A law enforcement officer, without a warrant, may arrest a person if the officer has probable cause to believe that the person has committed any public offense that makes the person removable from the United States.

     

    この条項で用いられている「reasonable suspicion(合理的疑い=疑うに足る客観的事由)」や「probable cause(相当な根拠=その者が罪を犯していると信ずるに足る客観的事由)」は市民に対する警察官の呼び止めや拘束行為の法的根拠とされる法律用語ですが,難しい条文解釈はひとまず置くとして,このような法規定が現場で働く警察官にどのような意味内容のものと受け止められるかといえば,おそらくつぎのようなものでしょう。

    「違法滞在が疑わしい外国人に遭遇(そうぐう)した場合には躊躇(ちゅうちょ)なく滞在資格を質問すること。その者が登録証を提示しなかったり挙動が不審な場合にはその場で逮捕し,警察署に連行して取り調べてよい。」

    アリゾナ移民法が不法移民の規制を主眼とするものとはいえ,このような規定の仕方はあまりに直接的で,あたかも警察署の朝のブリーフィングで本部長がパトロールに出かける警察官たちを前に“本日の取り締まり方針”を訓辞しているかのようです。これでは“外国人”を一律に犯罪者とみなすも同然で,ヒスパニック系に対する人種差別かどうかという問題以前に,そもそも“外国人”に対して大変に失礼な規定の仕方です。前回のPart Iで申し上げたように,日本では外国人に在留資格を質問する権限は警察官だけでなく,出入国管理に携わる入国審査官と入国警備官はもとより,捜査権・逮捕権を有する海上保安官,麻薬取締官,公安調査官にも,さらには外国人登録に従事する国・地方公共団体職員や職業安定所職員まで,法律によって広く認められていますが,礼節を重んじる日本文化の中で,外国から訪れる“お客さま”に対して日本政府がアリゾナ移民法のような“不作法な”法律を作るはずがありません。実際,日本ではもっとエレガントに法秩序が構築されています。

    海外から日本に合法的に入国した外国人は入国審査官の許可印が押された旅券を持っていますし,90日以上滞在する外国人は外国人登録証を持っています。そこで日本では,警察官などの公職員が“その職務の遂行にあたり外国人に旅券または外国人登録証の提示を求めたときは,外国人はそれを提示しなければならない”という規定の仕方をしています(*2)。

    このように,アリゾナ移民法が警察官に不審者をどのように扱うべきかを“訓辞”しているのに対して,日本の法律は,外国人の方々に,警察官などが職務上の必要性から旅券・外国人登録証の提示を求めた場合にはそれを提示するよう求めています。いうなればアリゾナ移民法が外国人はみな犯罪者であるかのような“性悪説”に立脚したややヒステリックな法規定をしているのに対して,日本では外国人は正規の旅券または外国人登録証を持っているはずという“性善説”に立つ礼儀正しい法規定をしているということになります。

    もちろん,礼節をわきまえた法規定であることは寛容を意味するものではありません。実際には規定内容はなかなか厳しいのです。日本ではそもそも,外国人は旅券を(外国人登録をした16歳以上の外国人は外国人登録証を)常に携帯することが義務づけられています(*3)。旅券の不携帯は10万円以下の罰金,外国人登録証の不携帯は20万円以下の罰金です。また,警察官などが求めた旅券の提示を拒否すると10万円以下の罰金。外国人登録証の提示拒否の場合はさらに厳しく,1年以下の懲役もしくは禁固刑または20万円以下の罰金に処されます。したがって,何らかの理由で警察官がある外国人に不審を抱き,旅券・外国人登録証の提示を求めたにもかかわらず,その外国人が旅券や外国人登録証を不携帯で提示できないとすると,その段階で罰金刑の対象となります(*4)。さらに,前回お伝えしたように,日本では2000年(平成12年)の入管法の改正によって不法滞在は犯罪行為であることが法律に明記されましたので,その外国人が旅券番号や登録番号を覚えていないとすると入国管理局に問い合わせて滞在資格を確認することができませんので,警察官は不法在留罪や不法残留罪という犯罪行為がまさに行われているのでないかという強い不審を抱かざるを得ず,結果としてその場で所持品検査・身体検査が行われたり,最寄りの交番や警察署への任意同行が求められる可能性が大きくなります。

    このように,警察官による外国人の滞在資格の確認という点では日本の規制内容の厳しさはアリゾナ移民法と大差ないのですが,日本の規制の仕方が人種差別的と批判されることはまずないでしょう。それは,日本の場合は節度ある規制を幾重にも積み重ねる重層的な構造となっているからです。アリゾナ移民法が,登録証を示さなければ逮捕するなどの“脅し”を使い権力を誇示することで問題を解決しようとする単層的な構造となっているのとは対照的です。脅しを使わざるを得ないほどアリゾナの状況がひっ迫しているのかもしれませんが,物事の考え方や解決の仕方が日本とアリゾナ(米国)では根本的に違うようにも思えます。文化差の真髄(しんずい)のひとつといってよいかもしれません。

     

    日本でのさらなる規制強化:外国人在留管理制度

    外国人の不法滞在の取締りに関して礼節をわきまえつつも厳しい規制を敷く日本で,さらなる規制強化として2012年(平成24年)から実施が予定されている外国人在留管理制度について簡単にご説明します(*5)。

    現在,日本に90日以上滞在する外国人には外国人登録が義務づけられています。登録申請書には申請人の旅券番号,生年月日,本国の住所,職業,日本での居住地および世帯主の氏名,申請人が世帯主の場合には世帯構成員全員の氏名と生年月日など詳細を記入しなければなりません。日本での在留資格や在留期間は法務省入国管理局が決定しますが,この外国人登録は居住地の市町村役場で行っています。市町村役場が登録事務を扱う理由は,日本に中長期滞在する外国人が居住地で生活を始めるにあたり国民健康保険への加入や子どもがいる場合には就学手続など各種の行政サービスを受けることが必要で,外国人登録の内容がその基礎となるからであろうと思われます。現制度のもとでは市町村役場で行われた外国人登録の全情報が法務省(入国管理局)に送られ,外国人の居住関係と身分関係の情報が管理されます。

    このような外国人登録制度が廃止され,新たな外国人在留管理制度が2012年より始まります。新制度の最大のねらいは入国管理局による情報の一元的管理です。新制度のもとではこれまで市町村役場で行っていた外国人登録と居所変更など各種変更登録もすべて入国管理局で行うことになります。すなわち,外国人の入国管理,在留管理,出国管理のすべてを入国管理局が直接的に行うことになり,外国人の不法滞在や,偽装結婚・偽装留学による不法就労などをこれまで以上に厳しく規制することができるようになるというものです。2000年に始まった不法滞在取締りのスローガンである『こさせない,はいらせない,いさせない』のうちの“いさせない”をさらに強化するものといえるでしょう(*6)。

    新制度が始まると,中長期滞在する外国人には原則として日本への入国時に空海港の入国管理局で上陸許可と同時にICチップ付きの外国人在留カードが発行されます。この在留カードには氏名,生年月日のほか,在留資格,在留期間,就労制限の有無,日本での住居地などが記録されます。一方で,中長期滞在する外国人が居住地で適切な行政サービスを受けることができるように,これらの登録情報が入国管理局から居住地の市町村役場に提供されます。なお,外国人がこの在留カードを常時携帯する義務があることはいうまでもありません。

    次回(Part III)は最終回です。これまでにご説明した日本における規制の状況をふまえた上で,メディアではあまり触れられていないアリゾナ移民法の問題点について考えてみたいと思います。

     

     

    *1:法律問題を理解するには関連条文を読むことが必要不可欠で,実際,問題の理解にとても役立つのですが,条文そのものが新聞などに掲載されることはほとんどありません。専門的すぎて一般読者の興味関心を惹かないからでしょう。

    *2:入管法23条2項,外登法13条2項

    *3:入管法23条1項,外登法13条1項

    *4: 実際には旅券や外国人登録証が不携帯であっても,合法的滞在であることが判明すれば罰金刑が科されないこともあるようです。

    *5:新制度を導入する改正入管法はすでに2009年(平成21年)に成立しています。

    *6:この取締りスローガンの詳細についてはPart Iをご参照ください。

     

     

    本稿はJapanese Canadian Community Organization of Victoria発行のJaponism Victoria, vol.5 no.7, 2010 に掲載された記事「アリゾナ移民法を考える[Part II] 警察官の職務質問と日本の新外国人在留管理制度」に加筆修正をしたものです。

     

    本稿のPDF版を以下のリンクよりダウンロードすることができます。

    https://japonismvictoria.com/library/sod101001.pdf

     

     

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  • アリゾナ移民法を考える[Part III]本当の問題は何か Arizona Immigration Law, Part III

    アリゾナ移民法を考える[Part III本当の問題は何か

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    アリゾナ州では,2009年に成立した移民法よりも2年前の2007年に不法就労を取り締まる合法労働者法(Legal Workers Act)という法律が成立しています(*1)。この法律によれば,企業主が就労資格のない外国人を不法就労と知りつつ雇用した場合は企業主に対して営業停止処分と観察処分が下されます。そして観察処分期間中に再度不法就労者を採用した場合は営業許可が取り消されます。この規制は企業経営者・不法就労者双方に厳しすぎるとして州の経営者団体や人権団体などが提訴しており,昨年12月より連邦最高裁判所でヒアリングが開始されました。原告側がこの法律を違憲とする根拠は,米国では移民に関する立法権限は連邦政府のみに与えられており,州政府が独自の移民規制を行うことはできないというもので,これは基本的にアリゾナ移民法に対する連邦政府の提訴理由と同じです。

    一方で,現在,少なくとも7つの州でアリゾナ移民法と同様の不法移民規制法を制定する動きが見られ,良くも悪くもこの法律が米国における不法移民規制のモデルになりつつあります。さらに,米国では米国生まれの子には誰にでも生得的な市民権が付与されますが,十数の州で不法移民の子については生得的な市民権付与を認めない方向での検討が始まっています(*2)。

    さて,最終回のPart IIIでは,アリゾナ移民法に関して本当は何が問題なのか,その核心に迫ってみたいと思います。

     

    アリゾナ移民法は本当に必要か?

    大きな論争に発展したアリゾナ移民法ですが,そもそも,このような規制法は本当に必要なのでしょうか? まず,米国連邦法における外国人の入出国管理についみてみましょう。

    近年,米国の外国人に対する入出国規制は非常に厳しくなり,指紋登録の義務化など制度変更も頻繁に行われていますが,連邦法では米国に入国するためのビザを申請する外国人は外国人登録をしなければなりません(Immigration and Nationality Act 261条)。ビザ免除プログラムを利用してビザなしで米国に入国した外国人も,米国に30日以上滞在する場合は同様の外国人登録をしなければなりません(同法262条)。外国人登録を行うと外国人登録カード(I-94 Card)が発行されます。登録した外国人には登録カードを常に携行する義務が課せられており,義務に違反すると$100以下の罰金または30日以下の禁固刑に処されます(同法264条)。この義務違反は罰則が比較的軽いmisdemeanor(軽罪)とされ,罰則の重いfelony(重罪)とは区別されますが,犯罪行為であることに変わりなく,犯罪記録(criminal record)が残ります。

    一方,永住許可を受けた正規移民にはグリーンカード(Foreign Registration Receipt Card)が発行され,このグリーンカードも常に携行する義務があります。そして短期滞在で外国人登録をしない外国人にはビザおよびパスポートの常時携行が義務づけられています(*3)。

    このように米国連邦法の下では米国に合法的に滞在する外国人には何らかのIDを常に携行する義務が課されています。したがって,例えば警察官の職務質問を強化することによってIDを持たない不法滞在者を摘発することは十分可能と思われます。

    IDを自宅などに置き忘れた外国人が罰金刑に処されたり,滞在資格を証明できるまで警察署に拘束されたとしても,──合法滞在する外国人にとって非常に不快な経験となりますが──不法滞在者の摘発を強化せざるを得ない社会的状況の中ではやむを得ないでしょう。

    ただ,IDを持たない米国籍保有者と不法滞在者をどう区別するかという問題が残ります。米国には日本のような戸籍制度や健康保険制度がありませんので,住民票や健康保険証で身分を証明することができません。運転免許証や学生証があればよいのですが,どちらも持っていない人もいます。実際にアリゾナでは,IDのないヒスパニック系米国人が警察署に拘束される事態も起き始めているようです。

    このような事態を避けるにはどうすればよいかといえば,答えは比較的簡単です。米国籍を有する米国人にIDを持たせればよいのです。例えば,私たちが住むBC州にはBC IDという独自の身分証明制度がありますが,同様のID制度をアリゾナ州でも始めればよいのです。BC IDは外国人でも登録できますが,アリゾナIDの場合は州に居住する米国籍保有者に限定すればよいのです。州に居住する米国人全員が登録の対象ですから人種差別の問題は生じません。また,このID制度は米国籍保持者向けのものですから,州独自の移民規制にも該当しませんので,米国憲法に違反することもないでしょう。

     

    警察官の職務質問について

    IDの有無で不法滞在者を識別するためには警察官などによる職務質問が重要なキーになるでしょう。では,警察官の職務質問について規定したアリゾナ移民法がなくとも警察官は職務質問ができるのでしょうか? その答えはおそらく“Yes”です。

    アリゾナ移民法では不法滞在を疑うに足る合理的な理由(reasonable suspicion)がある場合にはその者の滞在資格を確認することを警察官に義務づけており,また,国外追放処分を受ける罪を犯していると信ずるに足る客観的事由(probable cause)がある場合には令状なしにその者を拘束できるとしています(同法8条)。しかし,このようなreasonable suspicionやprobable causeという用語はアリゾナ移民法で初めて登場するものではなく,米国の法体系の中ですでに確立されている法律概念です。

    つまり,そもそも米国ではアリゾナに限らずどの州でも,警察官はreasonable suspicionがあれば職務質問できますし,犯罪のprobable causeがあればその場で不審人物を逮捕できます。不法入国や不法滞在は禁固刑や国外強制退去処分に該当する犯罪ですので,法律上はどの州でも警察官は米国籍・滞在資格が確認できない者を拘束することができるはずなのです。

    これまで警察官がヒスパニックに滞在資格を確認する職務質問をしてこなかったのは,法律上それができないからではなく,そのような職務質問をしてしまうと警察がヒスパニックから反感を買い,他の犯罪捜査で協力が得られなくなるのをおそれたからです(*4)。現状のままでも警察官には職務質問する権限があるにもかかわらずアリゾナ移民法が警察官に職務質問を義務づけたのは,もしかすると,そうでもしないとヒスパニックの離反をおそれる警察官が重い腰を上げないと考えたのかもしれません。

    しかし,気乗りのしない警察官の尻をたたいて不審人物に滞在資格確認の職務質問をさせるだけなら,わざわざ移民規制法──アリゾナ製品不買運動が起きるほどの厳しい規制法──を作らなくとも,警察署内で本部長が警察官に対して,不法滞在が疑われる人物には必ず職務質問するようにと,取締徹底の方針を伝える訓辞を行えばよかったのではないでしょうか。Part IIでアリゾナ移民法における警察官の職務質問に関する条文をご紹介した際に,規定の仕方があまりにも直接的で,これではまるで警察本部長がパトロールに出かける警察官たちに“本日の取締方針”を訓示しているかのようだと申し上げましたが,要するにそういう“尻たたき”をするのであれば,立法によって行うのではなく警察署内部の訓辞で行えば十分だったように思います。

     

    米国人の行動スタイル

    上述したアリゾナID制度の導入と警察官による職務質問の強化のように,不法移民を規制する穏やかな方法はいくつかあるはずです。工夫をすれば人種差別・人権侵害という激しい批判を受けずとも不法移民の規制が十分に可能であったはずなのに,なぜアリゾナ政府はそのような穏便な方策をとらず,アリゾナ移民法制定を選んだのでしょうか?

    それは,要するに物事を解決しようとするときの行動スタイルということなのかもしれません。つまり,少々手間がかかるとしても粘り強く問題に取り組めば少しずつ状況を改善できるという場合でも,力にものをいわせて相手を攻撃し短時間で問題を解決しようという米国人独特の行動スタイルが発現したのかもしれません。米国はベトナムでもそうでしたし,アフガニスタンやイラクでもそうでした。そしていずれも失敗しています。米国における不法移民規制のモデルになりつつあるアリゾナ移民法もその轍(てつ)を踏むような気がしてなりません。

    つまり,アリゾナ移民法の最大の問題は,ヒスパニックをいたずらに敵に回したことにあるように思います。不法移民を規制するやり方はいくつもあったはずなのに,アリゾナは最悪の選択肢を選んだのではないでしょうか。アリゾナ移民法によって生じたヒスパニックの米国白人社会に対する敵意と不信が簡単には消えることはないでしょう。そしてその影響はこの先10年,20年という長い年月の間に少しずつ表面化するのではないかと思います。たとえこの法律によって不法移民が減少しアリゾナの社会秩序が回復したかのように見えたとしても,警察への非協力の拡大,納税への非協力の拡大など,ヒスパニック系の人々の向社会性──よりよい社会を作ろうとするモチベーション──が弱まることは間違いないでしょう。

    上述のアリゾナID制度を導入し警察官の職務質問によってIDのない不法移民を摘発しようとすれば,職務質問を受ける機会が多いヒスパニックの人々の反感を買うことにはなるでしょう。しかし,このような穏やかな規制方法であれば,ヒスパニック系の人々との対話の可能性が残ります。法治国家に不法に滞在することはよくないことであるという基本的な規範意識の育成について,彼らにも協力を求める可能性は残るはずです。

    アリゾナの不法移民の問題はアリゾナ州の問題であるとともに,アリゾナ州に暮らすヒスパニック系の人々の問題でもあります。彼ら自身も問題解決に参加できるような状況を作り出すことこそが政治家の知恵であったように思います。アリゾナ移民法はその可能性も葬ってしまったようです。

     

    *1: Arizona Revised Statues §23-211 – §23-214

    *2: ”States plan crackdown on immigration but risk Latino ire”, Reuters, January 4, 2011

    *3: Border Crossing Cardを保有するメキシコ国民を除く。

    *4: ”Immigration advocacy groups to challenge Arizona law”, The Washington Post, Apr. 25, 2010

     

     

    本稿はJapanese Canadian Community Organization of Victoria発行のJaponism Victoria, vol.6 no.1, 2011 に掲載された記事「アリゾナ移民法を考える[Part III] 核心に迫る」に加筆修正をしたものです。

     

    本稿のPDF版を以下のリンクよりダウンロードすることができます。

    https://japonismvictoria.com/library/sod110301.pdf

     

     

    アリゾナ移民法を考える [Part I] <

    アリゾナ移民法を考える [Part II] <

     

     

  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[1]

    カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[1]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    米国とカナダで一番人気のスポーツ

    私はいま,テレビのアメリカンフットボール(通称アメフト)の試合中継を横目で見ながら,この原稿を書き始めています。特にひいきのチームはありませんし,詳しいルールも知りませんが,それでも時々,アメフトの試合中継を見ます。ラグビーと異なり,アメフトでは前方へのパスが認められているためゲームにスピード感や躍動感があります。しかしそれ以上に,身体の大きな男たちがぶつかり合うにもかかわらず,選手の暴力行為はもとより小競(こぜ)り合いすら滅多に起こらないため,観ていてとてもすがすがしいのです。つまらない諍(いさか)いでゲームの流れが中断することがなく,ダウン(攻撃側のボール保持者がグラウンドに倒れるなどしてボールが止まったと認められること)の後にすぐに次の攻撃が始まり,選手たちの動きがとてもきびきびしています。それがまたアメフトのスピード感や躍動感を高めてもいるのです。アメリカのスポーツ競技の中ではこのアメフトが最も人気が高く,その人気は野球やバスケットボールを大きく引き離しています。

    一方,カナダではカナダ生まれのスポーツであるアイスホッケーが抜群の人気を誇っています。ホッケーはカナダで冬のナショナルスポーツに指定されており,国際競技でカナダが最も強いのもこのアイスホッケーです。アイスホッケーの特徴はスピードと迫力でしょう。摩擦の少ない氷上で堅いパックを打ち合いますので,その速度は非常に速く,プロ選手であれば時速160Kmを超えます。氷上を滑走する選手同士もスピードを緩めることなくぶつかり合いますので,その衝撃はすさまじく,当たりの激しさがこの競技の魅力ともなっています。

     

    シーズン中は毎日NHL(National Hockey League)の試合が放映され,勝敗を巡り暴動が起こるほどカナダ人が熱狂するアイスホッケーですが,私はホッケーの試合を観たいとは全然思いません。それはこのスポーツが暴力に満ちあふれているからです。

    選手同士が拳で殴り合う風景はアイスホッケーでは珍しくありません。それにも増して不愉快なのが意図的な身体攻撃です。アイスホッケーでは,パックを奪い取るため,あるいは敵側選手の前進を妨害するために肘や肩を使って相手をブロックする“ボディチェック”と呼ばれる身体接触行為が認められています。しかし実際には,ボディチェックとは名ばかりの,もっぱら相手を痛めつけるために行う不必要に過剰な体当たりや,審判に隠れて行う肘打ち,スティック打ちなどが常態化しています。選手たちは暴力的であることが男らしさと勘違いしているようです。しかし,暴力的なスポーツは観ても楽しくありません。

    アメリカンフットボールはイギリスから持ち込まれたフットボールがアメリカで進化し,現在のような形になりました。アイスホッケーはカナダで生まれてカナダで発達しました。どちらも同じ北米圏で行われている一番人気のスポーツ競技で,しかもともに身体の大きな男たちが激しくぶつかり合う競技でありながら,アメリカンフットボールでは暴力がほとんど見られないのに対して,アイスホッケーは非常に暴力的です。それはいったいなぜなのでしょう?

     

    それは,アメリカンフットボールとアイスホッケーは生まれ育った国が違うというだけでなく,両者はスポーツとしての成り立ちがまったく違うからです。すなわち,フットボールとホッケーは発達の仕方とそれを規定した文化的背景が大きく異なるからなのです。前者は非常にアメリカ的な発達を,後者は非常にカナダ的な発達を遂げたといってよいでしょう。

    アメリカのスポーツ史を記した“Sports and Freedom: The Rise of Big-Ten College Athletics”, Ronald A. Smith, Oxford University Press, 1988という書があります。日本語版が「カレッジスポーツの誕生」(白石義郎・岩田弘三監訳,玉川大学出版部,2001年)として出版されており,私も翻訳者のひとりとして,大学・大学教員たちが拡大するカレッジスポーツの管理に苦悩する様子を描いた章の翻訳をしました。同書にはアメリカンフットボールが暴力を克服した過程が克明に記されていますので,それを参考に,アメリカンフットボールとアイスホッケーの違いを考えてみたいと思います。

     

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[2]

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[3]

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4]

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[5]

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[6]

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[7]

     

  • 歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホームThe Truth of Victoria Oriental Home[1]

    歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[1]

    Michiko Midge Ayukawa, PhD

     

     

    AJさん家族とメソジスト教会

    カナダBC州ビクトリア市にオリエンタルホーム(『東洋人の家』の意)という施設があったことは,日本人・日系人の間では噂話としてしか話されないことを,私は常々悲しく思っています。オリエンタルホームという言葉を私が最初に耳にしたのは70年も前の子どもの頃のことです。子ども心にそれが何かを理解できたわけではなく,ただ何となくあまり良くないことのように思った記憶があります。

    私は日本語学校の生徒でしたが,ある年の新学期にAJさんという子と友だちになりました。AJさんは日本語があまり話せず,英語で話す方が上手でした。私とAJさんはよく似ていて,すぐに仲良しになりました。私は親や近所の人と日本語で話すことはできましたが,英語の方が得意で,きょうだいや友だちとは英語で話していました。

    ある日,AJさんは友だちを誕生日パーティに招待しましたが,実際に彼女の家に行ったのは私ひとりでした。AJさんはがっかりしていたはずですが,顔には出しませんでした。この誕生日パーティのことは,お祝いのケーキがとても大きかったこと以外,あまり覚えていません。

    真珠湾攻撃が起きた後に私たちは離れて暮らすようになりましたが,それでも私たちは親友でした。結婚後も連絡を取り合っていたのですが,お互いの生活が忙しくなり,音信が途絶えるようになりました。ところが1980年代に,私はAJさんのお母さんについて書かれた日本語の本に出会いました。天野美恵子さんが書いた『力と気品』という本です。この本を読んですべての謎が解けました。なぜAJさんは日本語をほとんど話さなかったのか,なぜクラスのひとたちは彼女を無視したり避けたりしていたのか,そしてなぜ彼女は時折とても頑(かたく)なな態度を見せていたのか,等々。それらはすべて,AJさんとお兄さんと,そして未亡人だった母親の3人家族が数年間,ビクトリアのオリエンタルホームで暮らしていたことが原因だったことが分かりました。

    『力と気品』によれば,AJさんの父親は木材搬出中の事故で重傷を負い,後に精神病院に入院しました。ところが父親のきょうだいがAJさんの母親から貯金全部を騙し取ったため,一家は困窮のどん底に落とされました。バンクーバー・メソジスト教会(後のUnited Church:基督教団)が一家に救いの手を差し伸べ,ビクトリアの保護施設に入れてくれました。それがオリエンタルホームだったのです。

    そして,母親のJ婦人は教会信者の家で家政婦として働き,英語を学びながら子どもを育てました。J婦人の英会話力は高く,数年後に日本人ビジネスマンから仕事をもらうことができたほどです。その後,J婦人は子どもたちと一緒に暮らす家が持てるまでになりました。もしオリエンタルホームが困窮していた一家を救わなかったら,どれほどの不幸がこの一家に起きたことでしょう。

     

     

    東洋人女性とその子どもたちを受け入れるこの保護施設は,メソジスト派の女性信者たちによって1888年にCormorant通り100番地(後に732番地に改称)に「中国人女性の避難シェルター」として建てられました。若い中国人女性──ほとんどは少女──がこのシェルターで保護されましたが,その多くは中国人男性にサービスする売春婦としてビクトリアに連れてこられた女性です。

    メソジスト会の記録では1895年以降には日本人女性とその子たちがオリエンタルホームに住むようになりました。そして建物が手狭になったため建て替えとなり,1908年に同じ敷地内に大きな家が建てられました。

    1907年頃から,ホームの入居者は中国人女性よりも日本人女性の方が多くなりました。記録では,1895年から1907年の間に121人の日本人女性・女子が登録されています。中には,移民ビザの審査を待つ間に移民局の指示で収用された女性もいます。また,1903年から1915年の間,カナダ政府は「写真妻」(*1) たちにカナダの法律に基づいて正規に婚姻することを求めましたので,その結果,697組の結婚式がオリエンタルホームで行われました。

    教会の記録では,1908年から日系人の強制移住が行われた1942年までの間に,92名の日本人女性が保護されています。そのほとんどは夫や親類の虐待から逃れてきた日本人女性でした。保護された多くの日本人女性たちは,ホームの支援のもとで夫と話し合い,夫の元に帰りました。日本に戻る女性や日本人コミュニティに復帰できるまでメソジスト派信者の家で家政婦をする女性もいました。そして多くの女性がキリスト教に転向しました。

    一方,オリエンタルホームはビクトリアの日本人コミュニティとの関係を深めるようになります。まず幼稚園を設置し,つぎに教会と関係するいくつかの組織,例えばCGIT(カナダ女子訓練所),YWCA,女性祈祷会などを設立しました。

    記録によれば,ホームでは長年にわたり多くの女性とその子たち──少数の少年と200人以上の少女―─が保護されています。一部の女性は再婚し,独り身のまま残った女性も自立や子どものための活動をしています。また,女性だけでなく,妻を亡くし男手で子を育てる父親もこのホームを利用しました。父親が製材,木工所,漁場などで仕事をする間,子どもたちはこのホームで食事と居場所を与えてもらえたのです。

     

    *1:米国(ハワイ)やカナダに移民した日本人男性の多くは日本にいる見知らぬ女性を写真で選び,日本で婚姻届を出した上で米国やカナダに“妻”として呼び寄せたことから“写真妻”と呼ばれています。

     

    Michiko Midge Ayukawa, PhD (1930 – 2013)

    1930年バンクーバーにおいて,広島県尾道市出身の移民1世である両親の間に第3子(長女)として生まれる。1942年のカナダ政府の強制移住政策による抑留生活を経験した後,1955年にKarl Kaoru Ayukawa氏と結婚し,5人の子どもをもうける。歴史学者。著作に“Hiroshima Immigrants in Canada 1891-1941”, 2008, UBC Press。

     

    © 2010-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.5, no. 7, 2010の掲載記事「The Truth of Victoria Oriental Home」に加筆修正をしたものです。

     

    > 歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[2]

     

  • 桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」European Union, the Birth and Progress[1]

    桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[1]

    内田 晃

     

     

    ────編集部より

    バンクーバー日本語学校の卒業生を中心に構成される桜楓塾(おうふうじゅく)(代表:内藤邦彦先生)主催の講演会(2016年8月7日)の記録をご厚意で拝借できましたので,その抜粋を掲載いたします。桜楓塾は日本語学校卒業後も日本語への学習意欲にあふれる若者たちが集まり,日本の歴史,文化,時事問題などについて学ぶ会です。なお,掲載にあたり題目,項目名を含め記録内容を編集部にて編集しました。

     

    EU(欧州連合)の意義

    イギリスのEU離脱問題(ブレグジット)を契機としてEUの統合が危ぶまれ,今後の各国の動向が注目を集めていますが,EUとはどのような体制なのか,その意義や成立の過程などはあまり知られていません。まず,EU発足の歴史と統合の思想をふりかえり,EUの意義を考えてみましょう。

    はじめに,17世紀中頃の欧州諸国と2016年現在の欧州諸国の分布具合を地図で比較すると,欧州の状況が大きく異なっていることがわかります。17世紀の頃は大小無数の国々に分かれていたのに対し,現在ではかなりすっきりとまとまりがあります。このことからいえる欧州統合の意義のひとつは,各国が持つ「国家意識」から,欧州という大きな「コミュニティ意識」への発展であると考えられます。

    こうした意識の変化は第一次世界大戦後の仏独関係が大きな原動力となっています。第一次世界大戦後,ヴェルサイユ条約が結ばれ,敗戦国であるドイツは領土割譲(かつじょう),植民地放棄,軍備制限,1360億マルク(当時のドイツの年間GDPの20倍)の賠償金支払いを義務づけられました。しかし戦争で資本や領土を失ったドイツには賠償金を支払うことが困難でした。その結果,戦勝国のイギリスやフランスでさえ,戦争への出費で戦後の財政が困窮(こんきゅう)し,また,ドイツからの賠償金も思うように得られず,米国に援助を求めることで債務のバランスを維持する状態でした。

    ところが世界大恐慌が起こったために米国からの資金供給がとまり,ドイツの賠償能力はさらに制約を受けざるを得ず,賠償額の減額交渉が行われました。当然にイギリスとフランスもその影響を受けました。このようなドイツに対する過酷な賠償義務が後の第二次世界大戦への引き金となっていきます。

     

    講師略歴:

    内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。

     

    > EU(欧州連合)の成立と現在[2]

    > EU(欧州連合)の成立と現在[3]

    > EU(欧州連合)の成立と現在[4]

     

     

  • 算命学の泉 San-Mei-Gaku Divination[1]

    算命学の泉[1]

    尾崎 光越(www.honkakuuranai.com

     

    ───編集部より

    今回より『算命学の泉』と題する連載が始まります。算命学(さんめいがく)というのは,年と月と日の干支(かんし・えと)に基づいて森羅万象(しんらばんしょう)のゆくえを予知する占いであり,学問です。流れゆく世界の中で皆さまの足元に小さな明かりを灯していただければと考え,算命学の専門家である尾崎光越先生にご執筆をお願いしました。

     

    算命学

    算命学は古代中国,殷(いん)の時代に確立された陰陽五行説を基本にした学問で,中国の宗教である道教の中の神仙思想(しんせんしそう)に基づいています。

    その技法は膨大な理論と占術を持ち,宿命のエネルギーを数理で表すなど,他に類を見ない明確な予知を可能とするものです。そのため,中国では政治や軍略の要として,歴代の王朝において秘法として受け継がれてきました。

    しかし,第二次世界大戦後の文化革命が起こると,算命学の伝承者たちは秘伝の秘法を携えて海外への亡命を図りました。この時,日本へ亡命した中国人の算命学宗家(そうけ)から理論と技法を受け継いだのが日本の文学博士であった高尾義政です。同博士の手によって膨大な技法が整理統合され,昭和40年に『原典算命学大系』としてすべてが公開されました。

    それ以後,算命学は「高尾算命学」とも呼ばれるようになり,東洋における予知学の英知として幅広く知られるようになりました。

    算命学の根幹には,人を自然界の一部としてとらえ,人の運勢を自然界に置き換えて分析する自然思想が流れています。単に個人の苦悩を占うというのではなく,自然界の中で個性の質を問い,社会や国や時代などの取り巻く環境との関係性の中で運勢全体を見定めていこうとするものです。

    それ故に,算命学は「人はどのように生きるべきか」「社会はどのようにあるべきか」という基本的な命題のもとに,この世における役割を発見していくための人間探求の学問といってもよいでしょう。

    占いといえば,「今月の運勢」などとして雑誌などで扱われていますが,算命学の複雑な技法ではそれは成り立ちません。そこで,この連載では算命学の立場から,人の生き方などの命題に関するヒントをいくつかお伝えしていきたいと考えています。

    まず初めに,基本的な「運命と宿命」をどのように考えるべきかについてお話しします。

     

     

    運命と宿命

    運命や宿命という言葉は日常的に頻繁に使われています。これらを絶対的なもの,変えようのないものというイメージでとらえていらっしゃる方も多いと思います。これは運命も宿命も同じ意味だと考えていらっしゃるからなのですが,しかし,これらは互いに深い相関関係にありながらも,それぞれ別の意味を持つもので,運命と宿命は異なるものなのです。

    先ずは基本的な意味を持つ「宿命」からご説明しましょう。宿命とは「命が宿る」と表されるように,私たちがこの世に生命を授かった時に受けた気質や傾向等すべてを含めた個性ということができます。これは自分で変えることのできないものです。しかし,宿命に良い宿命と悪い宿命はなく,その宿命に授かっている個性が,生まれた時の環境や育つ環境,また大人になった時には仕事や所属している社会の環境に合うかどうかで,その宿命が恵まれたものか,そうでないかということはできます。

    例えば,どうしても男子が欲しいと願う家庭に女の子として生まれれば,恵まれない宿命といえるでしょう。また,研究者の家庭に勉強好きの子どもが生まれれば,恵まれた宿命といえるでしょう。すなわち,環境とは,まず生まれた時の家庭環境や兄弟姉妹との関係,両親との関係から始まり,やがて友だちや学校との関係につながっていきます。つまり,あらゆる環境の中でその人の持つ宿命が素直に発揮され,矛盾を起こすことなく生活できれば,環境は宿命に沿っているといえるでしょう。

    次に運命について述べることにします。運命とは「命を運ぶ」と書くように,自分たちの意思で,授かった命を運んでいくという意味があります。人生の過程において様々な選択をしていくことで変化する可能性のあるもの,それが運命なのです。

    「私は運が悪い」と決めてかかり,落ち込んで動こうともしない人がいます。それでは人生が良くなるはずがありません。宿命を変えることはできなくても,運命は自分の考え方や行動や生活を勇気を持って変えていくことで,面白いように変化するものなのです。すなわち,運命を変えるのは自分なのです。

    「変えようがない宿命を生かすために運命を変えて人生を切り開く」ことが宿命の個性に沿った生き方をすることです。それができれば,逆境から抜け出すことも,さらに輝いた人生を築くこともできるのです。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no. 4, 2013に掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

     

    > 算明学の泉[2]

    > 算明学の泉[3]

    > 算明学の泉[4]

    > 算明学の泉[5](予定)

     

     

  • 指圧の真髄 The Quintessence of Shiatsu[1]

    指圧の真髄[1]

    池永 清 @ Canadian College of Shiatsu Therapy

     

     

    ────編集部より

    このシリーズでは,BC州North Vancouverで『カナダ指圧カレッジ』(Canadian College of Shiatsu Therapy)を運営されておられる池永清先生に指圧についてお話していただきます。池永先生は,日本で古来より親しまれてきた「つぼ」といわれる押圧点を指で押して身体の調整を行う指圧療法を実践され,2003年にはこの押圧点・反射点を解剖学的に解明した著書「Tstubo Shiastu」を発表されました。池永先生はカナダ,アメリカ,ヨーロッパで指圧が独自の治療法であることの認定を受けるためご尽力され,指圧プラクターの世界統一資格をカナダBC州ではじめて確立された方です。

    池永先生にご執筆いただく経緯は本稿編集者の個人的経験でした。編集者の幼い頃の記憶に,母の肩を指で押している祖母の姿があります。5歳の頃だったと思いますが,祖母に「何しているの?」と聞くと,祖母は「身体には命が流れているの。でも疲れると命がかじかんでうずくまってしまうの。だからこうして『起きて,目を覚まして』といっているのよ。」と教えてくれました。

    そして昨年,編集者はあるモールで「JAPAN SHIATSU」という看板を見かけました。中では治療師が指圧を施しており,その姿が幼い頃の記憶を蘇らせたのです。治療師の方とお話ししたことが縁となり,池永先生にお目にかかり,お話しをうかがって,指圧が日本の誇る独自の治療法であることを知りました。この連載をお読みいただくことにより読者の皆様が指圧の心を知り,指圧を生活に取り入れて,お身体に命の泉を清らかに流す一助にしていただくことが出来ましたら幸いです。

     

    *********************************

     

    指圧の成り立ち

    この度,編集部の方より指圧について解りやすく説明をしてほしいとのご依頼をいただきました。指圧を少しでも多くの方に知っていただけることは大変嬉しいことです。そこで,指圧が日本独自の安全な医療行為であり,幅広い効果をもたらすものであることを皆様にお知りいただくために,指圧の定義や意味,そして方法を簡単に述べていきたいと思います。今回は第1回として,指圧誕生の経緯と歴史をエピソードなどを取り混ぜながらお伝えすることにします。

    指圧とは何かと問われると,皆様はどのようにお考えになられるでしょうか。「痛いところを指で押す治療」と答えられると思います。その通りなのですが,揉んだり,撫でたりしないこと,指以外の肘や膝などを一切使わないことは,あまりご存じないと思います。残念ながら指圧は他の手技治療との違いを理解されないことが多いのが現状です。中にはマッサージの一部として捉えられることもあります。

    しかし,指圧はそういったものではなく,指だけで体表のコリのある箇所を押してコリを解消し,まるで命の泉が湧き出るかのようにリフレッシュさせることができる技術なのです。他の手技療法とは異なり,指圧は証の見立てや事前の診断も必要なく,患者と施術者と煎餅布団(せんべいふとん)が一枚あれば,すぐに治療が始められるというメリットがあります。そして治療は簡単なものから複雑なものまでがありますが,やさしいものであればご家族で互いに押しあって,疲れや病気に打ち勝つ力を引き出し,身体の様々な機能を正常に戻すことができます。

    指圧は指で身体を押すことを基本とするものですので,知らず知らずのうちに,私たちの生活の中に取り入れられてきました。それは指圧がとても自然な営みでもあるからです。古代の人々が患部に手を当てることで痛みを鎮めていたことはご存じだと思います。約2000年前の神話時代には,日本の医祖と言われる少名毘古那神(すくなひこなかみ)が徒手によって病気を治した記録があります。指圧の発祥は古代の手当に始まると言われています。その後,有史時代を迎え,仏教の伝来とともに漢方医療が輸入されてきます。その中には鍼(はり),灸(きゅう),按摩(あんま)などの手技治療も入ってきました。しかし,新しい中国医療などに翻弄(ほんろう)されながらも,指圧は日本人の知恵を受け継ぐ形で人々の生活に染み込んでいきました。

     

     

    そのような中で,指圧療法の創始者といわれる浪越徳治郎(なみこしとくじろう)が誕生します。ご年配の方ならご存じでしょう。徳治郎の家族は明治45年(大正元年),徳治郎が7歳の時に四国の香川県より北海道の留寿都村に移住しました。徳治郎の母,まさは旅の疲れと急激な生活の変化により,体中に痛みを訴えて寝込んでしまいました。医者も薬もない状況の中で徳治郎少年は母の苦しみを見かねて,母親の身体を「撫でる」「さする」などをして必死に看病をしました。

    母親の身体をくまなく触っていると,徳治郎少年は母の身体に特に硬い部分を発見したのです。そこでその部分に注目して,硬い部分を親指でほぐすことを始めてみました。すると母の容体が不思議と良くなっていくのに気がつきました。その後,暗中模索の末に,身体の凝りや発熱などの症状に合わせて押し方を工夫しながら治療を続けた結果,母,まさは全快にこぎつくことができたのです。母親の病名は多発性関節リュウマチだったといわれています。母を思う子どもが必死で手当を行った結果でした。

    この時の経験をもとに,徳治郎は試行錯誤を繰り返しながら幾多の研究を重ね,指圧を医療手段のひとつとして形作っていきました。徳治郎の心にはいつも母を助けた気持ちが生きていたのです。まさに「指圧の心は母ごころ,押せば命の泉湧く」なのです。

    このように徳治郎が始めた指圧治療は,古来より人々に受け継がれてきた手当の作用と合流し,ひとつの流れを生み出していきました。現在,指圧は世界で認められた手技療法となりました。指圧施術者に与えられる世界統一資格である指圧プラクターの名称も,海外では初めてここカナダのBC州で使われることになりました。

    次回は,徳治郎が始めた指圧治療が日本の独自の手技療法になるまでの経緯をお伝えしたいと思います。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no.8, 2016掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

     

    > 指圧の真髄[2]

    > 指圧の真髄[3](予定)

    > 指圧の真髄[4](予定)

     

     

  • 日本語で学ぶ Learning in Japanese[1]

    日本語で学ぶ[1]

    内藤 邦彦 @バンクーバー日本語学校

     

     

     

    日本人学校

    日本経済の発展にともない,多くの日本人とその子どもたちが海外で暮らすようになっています。現在では,海外で暮らす義務教育段階の日本人の子どもは6万人前後と見られ,また海外に長期間在留した後に日本に帰国する子どもの数も増加しています。日本人の子どもたちが海外で日本語で学ぶことができる学校には,大きく分けて,日本人学校,補習授業校(補習校),日本語学校の3種類あります。この他に日本の大手私立学校が海外教育施設として設置した私立在外教育施設がありますが,数が限られており,例外的なものと考えてよいでしょう。

    今回から数回に分けて日本人学校,補習授業校(補習校),日本語学校それぞれの教育目的や教育内容についてご説明します。今回は日本人学校についてお話しします。

    ある国で日本人学校が設置されるのか補習校が設置されるのかは,その国・地域における日本人人口の規模,すなわち日本語による教育に対する需要の大きさによると考えてよいでしょう。東南アジアのように日本人が多い国・都市では日本人学校が多く設置されますが,日本人が少ないカナダでは補習校はあっても日本人学校はありません。まずこの日本人学校からお話しすることにしましょう。

     

     

    文部科学省と外務省は,憲法の定める教育の機会均等の精神に沿って,海外でも日本人の子どもが日本語による教育を受けることができるよう,海外子女教育に様々な施策を講じています。例えば,文部科学省は教員派遣,教材整備補助,帰国児童生徒の受入れ支援などを,また外務省は在外教育施設の賃借料援助や現地採用教員謝金援助などを行っています。日本人学校もそのひとつですが,これは日本の小学校・中学校と同等の教育を行うことを目的とする全日制の教育施設で,文部科学大臣から日本の義務教育と同等の教育課程を有する旨の認定を受けています。したがって,日本人学校を卒業すると日本の小・中学校卒と同等の資格が認定されますので,子どもが日本に戻ったときに上級学校へスムーズに進級することができます。

    日本人学校は一般に日本人会等が主体となって設立され,運営は日本人学校長,日本人会や進出企業の代表者,在外公館職員,保護者の代表者などからなる学校運営委員会によって行われます。運営経費は授業料等の保護者負担金,企業の寄付,日本政府からの援助等でまかなわれます。現在,日本人学校は世界49か国に86校設置され,幼稚部を併設している日本人学校もあります。

    日本人学校は日本の小・中学校と同等の教育を行なうための学校で,教育課程も原則的に日本の学習指導要領に準拠します。教科書も日本のものが無償給付されます。年間授業時数も日本の学校と同じ扱いですが,現地の自然や社会事情により違いがあるようです。なお,多くの日本人学校では週5日制が実施されています。

    国際交流の観点から,日本人学校でも所在国の言語や歴史,地理などにもとづく指導を取り入れたり,運動会や音楽会を現地校と協力して行うなど,現地の子どもとの交流に努めています。国際学級を設けて日本人以外の生徒を受け入れている日本人学校もあります。ほとんどの日本人学校の小学部で英語や英会話等の外国語教育が実施されており,中学部でも教科としての英語以外に英会話や現地語に関する外国語教育が行われています。

     

    著者経歴:東京学芸大学教育学部数学科卒。日本女子大学附属豊明小学校教諭,バンクーバー補習授業校教頭を経てバンクーバー日本語学校主任教諭。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.3, no.1, 2009掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。著者経歴は執筆時のものです。

     

    > 日本語で学ぶ[2]

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  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[1]

    カナダにいても和風献立[1]

     

    ──編集者より

    「食べ慣れた味」「母が作ってくれた家庭料理の味」は簡単には忘れられません。日本で育った方ならば,海外にいても和風の味付けが無性に恋しくなるときがあるでしょう。

    太平洋戦争中に敵国民として迫害されたカナダの日本人移民(日系一世)は,子どもたち(二世)にカナダで生きていくためにカナダ文化を身につけること,言葉も日本語ではなく英語を話すことを教えましたので,日系二世・三世の方たちは親から日本文化を十分に承継することができなかったのですが,例外がひとつ。彼らも家庭では母親の和風の味付けで育てられましたので,和食文化はしっかり受け継ぐことができたのです。ですから日本語は話せなくても日本食は大好きという日系二世・三世はとても多いのです。

    カナダも食の多様化が進み,地域差はありますが,街のスーパーでも和風献立に使える食材が多く並ぶようになってきました。大根,白菜,椎茸,豆腐,納豆,米,味噌,醤油,みりん,パン粉,天ぷら粉,ワサビペースト,カレールウ,冷凍枝豆など,日本食材店に行かなくてもそれなりに材料が揃います。和風料理の味付けに欠かせない日本酒も種類は少ないものの酒屋にあります。ただし,「うまみ文化」がないカナダではダシ類(干し昆布,干し椎茸,煮干し,鰹節,ダシ調味料)がまだ知られておらず,どうしても日本食材店を頼ることになります。

    基本的に肉食文化のカナダでは肉の種類や調理法は豊富かというと,実際はそうでもなく,一般家庭では,厚切り牛肉のステーキや鳥の丸焼きのように大きな肉のかたまりを焼くか,少し小さく切った肉のかたまりをシチューとして煮込むといった調理法が主です。つまり,肉のかたまりを食する文化はあっても,肉を細かく切って調理する文化はまだ定着していないのです。

    例えば,料理に使い勝手のよい牛や豚の“薄切り肉”や“こま切れ肉”をスーパーで見かけることはほとんどありません。スーパーに挽き肉が出回るようになったのも比較的最近のことで,それも牛挽き肉が主で,今でも豚挽き肉を置いていない店があります。

    もうひとつ困るのは魚介類が少ないことです。スーパーでは冷凍魚と生魚を扱っていますが,どちらも種類が貧弱である上に,生魚は鮮度が怪しいので刺身に出来そうにありません。刺身,煮魚,焼き魚など和食調理法でおいしい魚を食べたければ日本からの輸入品を扱っている食材店などの専門店を探すしかありません。

    そして要注意なのが鶏卵(たまご)。店頭に並ぶ鶏卵の品数は豊富ですが,カナダの鶏卵はサルモネラ菌対策が十分でないので生食できません。つまり,“白いご飯に生卵”という絶品がカナダでは味わえないのです。残念ながら鶏卵は必ず加熱しなければなりません。

    このようないくつかの制約はあるのですが,“薄切り肉”や“こま切れ肉”がなくても肉のかたまりを細切りにすれば代用できますし,スーパーで挽き肉も買えるようになりましたので,後は工夫次第で和風献立を組み立てることができます。

    このシリーズではカナダで入手できる食材を使って簡単にできる和風献立(時々アジア風)をご紹介します。レシピはカナダBC州(ブリティッシュコロンビア州)ビクトリア市で『Sushi Plus Restaurant』を営んでおられる蔭地(おうじ)宏美さんの創作によるものです。

    食事の時間が迫ってきているのに,冷蔵庫にある残り材料で何ができるのか決まらず困ることはありませんか? そんな時に料理本を見ても食材が揃わず,あまり役立ちません。問題は,いかにしておいしい料理を作るかではなく,いかにして目の前の食材を使ってそれなりにおいしい料理を作るかです。このシリーズでは各回,蔭地宏美さんに同じ食材(メイン食材)で二品の献立をご紹介いただきます。お手元にある補助食材に応じて,あるいはお好きな味付けの一品をお試しください。

     

    > カナダにいても和風献立[2]

     

     

  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[2]

    カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[2]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    独立戦争とカレッジスポーツの発達

    フットボールはアメリカでカレッジスポーツとして発展しました。そのカレッジスポーツがアメリカで興隆した最大の要因は,アメリカが独立戦争(1775-1783)でイギリスに勝利したことです。実際,アメリカが独立戦争でイギリスに負けていれば,あるいは独立戦争そのものがなければ,アメフトが今日のような形で存在していたかどうか非常に怪しいのです。

    アメリカが独立戦争で勝利した意義はとても大きく,その影響は単に政治的な面に留まらず,社会や人々の生活全般に,つまりアメリカ文化の様々な側面に深く浸透しました。そのひとつがアメリカの大学におけるカレッジスポーツの興隆であり,アメフトはそのカレッジスポーツの花形競技として発達したのです。

    独立戦争開始の翌年(1776年)に発布されたアメリカ独立宣言は,人間は誰しも平等で,生命や自由を守り幸福を求める権利があると宣言しただけでなく,政府の権力は尊重するけれども,それは政府がこのような国民の権利を擁護するよう機能する限りであって,政府がその目的に適(かな)わない場合には国民は新しい政府を樹立できるとまで断言しています。このようにイギリス王制を完全に否定し,人間は誰しもが平等に幸福を求めることができるとする独立宣言の精神は,アメリカが独立戦争に勝利したことでアメリカ社会に徐々に広まっていきます。

    そして,アメリカ社会に吹きわたる“自由の風”はアメリカの大学にも吹き込むようになり,大学当局や大学教員たちを戸惑わせることになります。なぜなら,当時のアメリカの大学は宗教宗派により設立されたものが多く,理事,学長,大学教員のほとんどが教会牧師で構成されていたからです。

     

     

    大学・大学教員は基本的に学生たちを性悪とみなし,彼らに善の行動を刷り込み,悪の行動を消し去ることで彼らをより善く生きる人間に育てようとしていました。そのための教育方法が厳格な義務づけと行動規制です。授業の他にも自習が義務づけられ,宗教に関しては,宗教授業はもとより,朝夕2回の礼拝への出席が義務づけられていました。一方で寄宿舎生活の隅々まで規制がおよび,飲酒,喫煙,ダンス,カード遊び,遊びとしての運動,無断外出などが禁止され,違反者は厳しく罰せられました。加えて,大学の授業はギリシャ語・ラテン語の復唱授業が主で,暗記中心の学習を求められていましたので,学生たちにとって大学生活は息の詰まる抑圧生活に他なりませんでした。

    その大学に“自由の風”が吹き込みます。自由の価値や人権意識に目覚めた学生たちは,自分たちを義務と規制で抑圧してきた大学教員たちに反抗し始めます。アメリカ各地の大学で学生騒動が起きましたが,その一方で,学生たちは自分たちで独自の活動を始めます。それが放課後の課外活動です。知的活動や社交活動などの“おとなしい”課外活動は独立戦争前にもありましたが,独立戦争に勝利した後は,肉体を駆使するスポーツ活動が学生たちの関心を集めるようになります。それがカレッジスポーツの原型となったのです。

     

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

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  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[3]

    カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[3]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    フットボールはなぜ花形競技になったのか

    19世紀初頭にアメリカの大学で芽吹(めぶ)いたカレッジスポーツは間もなく大学対抗戦という形で発展し,20世紀初頭にはアメリカ各地の大学で根を張るまでに広がりをみせていました。なかでもフットボールは最も人気のある競技に発展していました。そうなったのにはいくつか理由があります。

    大学対抗戦が始まる前,フットボールがまだ学内競技に過ぎなかった頃から,フットボールは学生たちの関心の的になっていました。当時,フットボールは全学生による「学年対抗戦」という形で毎年秋に行われていたのですが,実際それはフットボール形態の乱闘戦で,上級生による新入生の“しごき”でした。新入生を徹底的に痛めつけ上級生の優位性を教え込む恒例の行事で,相手を拳で殴る,相手のすねを蹴るなどして動けないようにするのが主な戦術だったようです。毎年,負傷者が続出する流血騒ぎとなりますので,対抗戦が行われる9月の第一月曜日は「血の月曜日」(Bloody Monday)と呼ばれていました。

    当時の大学は学生数が少なく,毎年,新入生は全員が同じひとつのクラスに属します。このクラスは卒業まで変わりませんので,学生たちは卒業まで毎年,同じクラスメートとともに血みどろの学年対抗戦を戦うことになります。戦いが熾烈(しれつ)であるが故に,ともに戦い抜いた“戦友”には自然と強い仲間意識が醸成されます。ただ,このような連帯感はクラス内に留まらず,学年の違う敵味方であっても過酷な戦を戦い合った仲間という意味で,大学の全学生が共通して感じる連帯の絆でもあったようです。そのような大きな力があったからこそ,フットボールは“危険なゲーム”でありながらも学生たちに愛されていたのです。

    そのような中,1852年にハーバード大学とエール大学との間で初の大学対抗戦としてレガッタの試合が行われました。湖畔の保養地に1000人ほどの観客が集まり,その結果,鉄道会社,ホテル業者,観光船業者などに利益がもたらされ,大学対抗戦が商業的利益につながることがわかります。このことが契機となり,以後,企業家や市町村などが資金や商品・賞金を提供して各種の大学対抗戦の開催を支援するようになりました。カレッジスポーツの人気はこのようにして急速に高まったのです。

     

     

    一方で,大勢の観客の前で大学生たちが肉体的能力を競う大学対抗戦の隆盛は大学にとっても利益をもたらします。それは単に大学の知名度が上がるというだけではありません。それまで大学は青白く弱々しい学生を教育する機関というようにみられていたものが,知的能力にも肉体的能力にも秀でた若者を育てる機関というように,大学のイメージが一挙に好転するからです。なかでもフットボールの力強さはその効果が大きく,フットボールのもつ粗暴性が当時のアメリカ人の荒々しさや男らしさを好む心性に合致していたこともあり,フットボールは大変な人気を呼び,カレッジスポーツの花形競技へと発展したのです。

    大学対抗戦に勝利することは選手の名誉だけでなく大学の名誉ともなりました。折しも大学の数が増え,各大学が新入生の確保に力を入れ始めていましたので,対抗戦に勝利する意味は大学にとっても非常に大きかったのです。

    勝利することの重要性が増すにつれフットボールの戦術も高度化しますが,粗暴性は収まるどころか,一層ひどくなっていきました。大学教員たちは野蛮なフットボールの廃止を何度も試みますが,フットボールは人気が高く社会的にも受け入れられていたこと,大学にとっても有益であったことから,結局,廃止には至りませんでした。では,それほどまでに粗暴であったフットボールは,なぜ,そしてどのようにして現在のように洗練されたものに進化したのでしょうか?

    詳しくは次回に申し上げますが,ひとつには,アメリカのカレッジスポーツというものがいくつもの矛盾やジレンマを抱えていたからでしょう。そしてもうひとつは,大学教員たちが苦悩しながらもそのような難しい問題に誠実に取り組んできた結果なのだと思います。今日のアメリカンフットボールが存在するのは,正に苦悩の歴史の賜物(たまもの)といってよいと思います。

     

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    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[1] <

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  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[4]

    カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    これまでに,アイスホッケーとアメリカンフットボールがカナダとアメリカでそれぞれ最高の人気スポーツという共通点を持ちながら,アイスホッケーでは試合中に乱闘など暴力行為が多発するのに対して,アメリカンフットボールでは暴力性がほとんどみられないのはなぜか,という問題提起をしました。そしてそれは,スポーツの発達を規定した文化的背景がアメリカとカナダでは大きく異なっていたことがひとつの要因であるとして,特にアメリカにおける独立戦争の影響について述べました。アメリカンフットボールも当初は流血の絶えないスポーツでしたが,大学教員たちが苦悩しながらも誠実に取り組んだ結果,アメリカンフットボールは粗暴性を克服することができたのです。以下ではその過程をご説明し,アイスホッケーと対比させてみたいと思います。

     

    ◆大学教員たちが直面したジレンマ

    19世紀初頭に大学生たちの課外活動として芽吹(めぶ)いた米国のカレッジスポーツは,その後,大学対抗戦という形を取ったことで人気が一気に拡大しました。中でもフットボールは,その力強さ故にカレッジスポーツの花形競技となりましたが,当時は死傷者が続出する暴力的なスポーツでした。それが現在のように粗暴性がほとんど見られない洗練されたスポーツに進化できたのは,フットボールを含めてカレッジスポーツというものが学生の課外活動であるが故のジレンマをいくつも抱えていたことと,大学教員たちが苦悩しながらも困難な問題に誠実に取り組んできた結果といえるでしょう。

    カレッジスポーツにおいて大学教員たちを悩ませていた最も根源的なジレンマは,カレッジスポーツが盛んになればなるほど,大学の使命,すなわち大学が社会の中で果たすべき役割が果たしにくくなるという二律背反でした。

    高等教育機関である大学の使命は,広くいえば知識を創造し,それを社会や若い世代に伝えていくことですが,そのためには大学教員たちは教育・研究活動に,学生たちは学習活動に勤(いそ)しむことが求められます。カレッジスポーツが拡大するにつれ,人々の人気を博す大学対抗戦に勝利することは選手の名誉となるだけでなく,大学の知名度を向上させ,知的能力のみならず肉体的にも強靱な学生を育てようとしているという意味で大学の力強さをアピールする絶好の機会ともなりましたが,カレッジスポーツがいかに人々の人気を博しても,いかに大学の名声が上がっても,カレッジスポーツはあくまで学生の課外活動にすぎません。

    学生たちの“本業”は──当時の米国の大学の多くは宗教宗派により設立された私立学校で,学生たちは寄宿舎で生活していましたので──授業や礼拝への出席と寄宿舎での決められた時間の学習活動でした。しかし,大学対抗戦に出場するためには,学生たちは時として授業や礼拝を欠席しなければならず,また試合が遠く離れた町で行われる場合には遠征旅行も必要となります。

    大学教員たちは練習時間に制約を加えたり,授業や礼拝の欠席,対抗戦の実施や試合出場を認めないなど,許される裁量権を最大限に用いて学生活動を管理しようとしますが,独立戦争を契機に自由の価値を知った学生たちの熱意を抑えきることはできません。また,私立学校としては,大学数が増えつつある中で学生数を確保するためには学生や親たちにも魅力のある大学作りが必要とされますので,大学の魅力をアピールできる有効な手段であるスポーツ活動や大学対抗戦への参加をむやみに拒否することもできず,教員たちには悩ましい時代が続きました。

     

     

    一般の方々は,「大学の使命」というのは確かにあるかもしれないが,スポーツ活動で多少学業がおろそかになるからといって,それで使命が果たせないなどと深刻に考えるほどの事ではないのではと思われるかもしれません。しかし,大学教員や学校教員という職に就いている人々は──私もそのひとりですが──全般的にいえばですが,自分たちの仕事が社会の中でどのような役割を担っているのかという点には比較的敏感なのです。多分,この点は社会で一般的な仕事に従事している方々とは少し違うはずです。まして,カレッジスポーツ興隆期の大学教員の多くは生真面目な教会牧師でしたので,カレッジスポーツが学生の学業に及ぼす悪影響には相当神経質になっていたことでしょう。

    大学教員たちを悩ませていた第二のジレンマは,アマチュアリズムとスポーツの商業化・プロ化との葛藤という問題でした。ここで商業化というのは端的には高額な賞金・賞品の授与や試合入場料の徴収という問題に,プロ化は有給の専門コーチの雇用,選手の出場資格,プロチームとの対戦など問題に集約されますが,米国のカレッジスポーツはその黎明期からアマチュアスポーツの商業化とプロ化という矛盾に悩まされていました。

    例えば,大学対抗戦が人々の人気を呼び,商業的利益や地域の活性化につながることがわかると,企業や市・町が大学対抗戦の実施に経済的援助をするようになります。そして中には,勝者に高額の賞金・賞品を授与する後援組織も出てきます。学生たちには賞金・賞品は非常に魅力的ですので,それを得る目的で試合に勝とうとする,アマチュアリズムとは相容れない風潮が生まれてしまったのです。

     

    アマチュアリズムというのは,元々は英国上流階級の人々がスポーツという“優雅な遊び”から労働者階級の人間を締め出そうとして考えついた差別的・排他的概念で,「日々の糧を得るために働かざるを得ない人間はスポーツに参加する資格がない」という考え方がその基本にあります。英国に対して独立宣言という“絶縁状”を突きつけた米国には英国のような上流階級はなく,アマチュアリズムも英国ほど厳格なものではありませんでしたが,カレッジスポーツの商業化・プロ化という批判をかわすためにも,大学はアマチュア精神を尊重する姿勢を示す必要がありました。

    有給専門コーチの雇用は非常に難しい問題でした。試合に勝つことの意味が重くなればなるほど,練習方法や試合の作戦を工夫する必要が増すからです。カレッジスポーツの名門校であるエール大学やハーバード大学が早くも1860年代に自校のレガッタチームに専門コーチを採用しているほどです。アマチュア精神を尊重している姿勢を社会に示さねばならない一方で,試合に勝利するためにはプロ的手法を導入せざるを得ないというジレンマは,米国のカレッジスポーツをその後もずっと悩ませ続けました。

    そして,大学教員たちを悩ませていた第三のジレンマは──おそらくこれが最も深刻な問題だったはずですが──カレッジスポーツを大学教員たちが望む形にするためには,学生たちの活動を事細かに管理する必要があり,むろん,大学教員たちもそれを欲したはずですが,現実には彼らには学生の課外活動を管理する時間的余裕も専門知識もなく,結局,カレッジスポーツの運営を学生たちに委ねるしかなかったという皮肉なジレンマでした。

    例えば,大学対抗戦ひとつを取っても,これを実施するには,相手校チームとの交渉,教授会の承認,試合会場の確保,試合会場への交通手段の確保,宿泊施設の予約など面倒なマネージメントが必要です。また,練習活動にしても,勝利が重視される中で合理的な練習方法を工夫するには相当の専門知識が必要です。正規のカリキュラムでない学生の課外活動に割ける時間的余裕もスキルもない大学教員たちは,つまるところ,様々な許認可権を用いて学生の自主活動に制約を加えるという形でしかカレッジスポーツに関与できなかったのです。

     

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    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

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  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[5]

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[5]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    フットボールの近代化

    大学の授業はもっぱらギリシャ語やラテン語の復唱(暗記学習)が中心で,寄宿舎での生活はうるさい規則だらけという,抑圧された学生生活を余儀なくされていた学生たちにとって,課外活動は,大学で初めて出会った真に自分を打ち込める対象でした。特に,肉体を激しく駆使するカレッジスポーツを愛した学生たちは,そのエネルギーを試合や練習時間以外でも発散することになります。大学対抗戦の前後に学生たちが酔っぱらって騒ぐ,物を壊すなどの不品行な振る舞いも多発し,これも大学教員たちの大いなる悩みの種となっていました。

    それにも増して,流血の絶えない“危険なスポーツ”であったフットボールは,その粗暴性・野蛮性が大学内で常に問題視されていました。実際,フットボールの試合では死者がかなり出ています。1800年代の死者数は手元にないのですが,1905年に限ってみてもフットボールによる死者数は18名です(一説では,大学対抗戦に限れば3名)(*1)。カレッジスポーツ自体が悩ましい存在であったことに加えて,このように危険極まりないスポーツであったフットボールが大学教員たちにとって,まさに“手を焼く存在”であったことは想像に難くありません。

    大学教員たちからは当然のごとく,暴力的なフットボールを禁止せよとの声が上がります。実際にフットボールを禁止した大学も少なくありません。そしてついに,米国スポーツ史で有名な「フットボール危機(Football Crisis)」が訪れます。1905年秋のことです。

    その少し前から,大学教員たちは,いくつかの大学で合同管理委員会を設置し,死傷者が続出するフットボールに関して共通のルール作りや規制の仕方を協議しようとし始めます。フットボールの危険性があまりに大きく,各大学がそれぞれ個別に対処するには問題が難しすぎたからです。しかし,カレッジスポーツや学生の管理についての考え方が大学間で異なるため,この委員会構想は最終的に座礁してしまいます。

     

     

    そうこうするうちに,1905年の秋にフットボールの大学対抗戦で負傷したマクスウェル(Bob Maxwell)という学生の血みどろの顔写真が新聞に掲載され,それを見たセオドル・ルーズベルト大統領(Theodore Roosevelt)がフットボールの粗暴性やスポーツマン精神の欠如に激怒し,ルールを改革しなければフットボールを禁止すると大学関係者をホワイトハウスに呼びつけて脅しました。これが巷で言われている「フットボール危機(Football Crisis)」事件です。この一件で,ルーズベルトはフットボールを廃止の危機から救った救世主のように伝えられました。

    しかし,政治家がからむ逸話は政治家に都合よく伝えられるのが常です。このフットボール危機も事実は少し違うようです。そもそも大統領にはスポーツを廃止する権限はなく,むしろルーズベルト自身はフットボールのファンで,マクスウェルが負傷する前から死傷者が続出する状況を改善したいと考えていたようです。そこで,主要なカレッジスポーツ校であるハーバード,エール,プリンストンの代表者を昼食会に招待し,合同管理委員会の設置を働きかけたというのが実情のようです(*2)。

    また,ルーズベルトの“鶴の一声”で事がすべて片付いた訳ではまったくありません。合同管理委員会の発足へ向けて大学関係者は動き出しますが,大学間の競争や関係者の思惑などもあり,様々な紆余曲折があって,翌1906年にようやく全米大学体育協会(National College Athletic Association: NCAA)が発足します。フットボールがカレッジスポーツの花形競技であったこともあり,このNCAAはその後,カレッジスポーツ全体を統率する最上位組織にまで発展しますが,発足当初は,激しい権力争いを繰り広げるハーバード大学とエール大学が参加しないなど,NCAAの船出は非常に危ういものでした。

    運営が軌道に乗り,主要大学がフットボールの改革に合意するまでには数年を要しました。また,その後もフットボールの試合では死傷者が続き,フットボール存続の危機は何度も訪れます。そのたびに規則改革がなされ,20世紀後半になってようやく,粗暴性がほとんど見られない現在のような姿になったのです。

     

     

    NCAAが創設されたのは,初の大学対抗戦であったハーバードとエールのレガッタ対抗戦が行われてから半世紀後のことです。この間,大学教員たちはカレッジスポーツが抱えるいくつものジレンマに苦悩しながらも,難しい問題に誠実に取り組んできました。その大学教員たちの努力がNCAAという大学合同管理委員会の発足に結びついたのだといえます。

    「アメリカンフットボールの父」として知られるウォルター・キャンプ(Walter Camp)という人がいます。彼はフットボール選手として活躍し,後にエール大学スポーツ顧問となり,ルール作りなどフットボールの発展に多大な貢献した人物です。彼はカレッジスポーツに対する大学・大学教員の関与については批判的で,「大学スポーツの基本的なあり方を確立したのは,大学教員たちでもなければ評論家たちでもない。学生たちが自力で築き上げたものがその基本構造となった。」と述べています。キャンプに言わせれば,大学教員たちはカレッジスポーツを妨害しただけということになるかもしれません。

    しかし,大学教員たちには学生活動を事細かに管理するだけの時間も専門知識もなく,学生活動に制約を加えるという形でしかカレッジスポーツに関与できなかったかもしれませんが,フットボールがその粗暴性やスポーツマン精神の欠如という欠陥を克服できたのは,そのような大学教員たちの干渉があったからこそであろうと思います。キャンプ自身は有能なフットボール選手であったこともあり,“力強いことが男らしさ”という前近代的な感覚の持ち主であったようです。そしてその前近代性のゆえに,キャンプの影響力はNCAAの発足──すなわち,フットボールの近代化の始まり──を契機に急速に弱まってしまったのです。

     

    *1:”College Football”, John S. Watterson, The Johns Hopkins University Press, Baltimore, 2000

    *2:前掲”College Football

     

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    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[1] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[2] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[3] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4] <

     

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  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[6]

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[6]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    アイスホッケー:近代化というバスに乗り遅れたスポーツ

    カナダで生まれたアイスホッケーは,米国でカレッジスポーツとして発達したフットボールのように,大学教員たちの干渉を受けるようなことはありませんでした。しかし,その結果,アイスホッケーは“近代化”という名のバスに乗り遅れてしまったのだと私は思います。この近代化というのは,試合から暴力性を排除して洗練したスポーツに姿を変えるという意味です。

    アイスホッケーの試合では選手たちが拳で殴り合う風景は珍しくないのですが,それは19世紀のフットボールの姿と本質的に同じです。選手やコーチたちは明らかに「力強いことが男らしさ」という前近代的なエートス(精神性)に支配されています。事実,格闘技を除くと,近代スポーツのなかで公衆の面前で選手同士が拳で殴り合うことが許容されているのはアイスホッケーだけです(*1)。

    有名なドーナッツチェーンである“Tim Hortons”(*2)を愛する心優しいカナダ人が本質的に暴力好きとはとても思えません。ただ,ひとつ不思議に思うのは,カナダでは暴力や性的描写を含む映像がテレビ放映される際には必ず視聴注意の警告が表示され,子どもたちに強い刺激を与えないように配慮されているのですが,アイスホッケーはどうやらその例外のようなのです。アイスホッケーの試合では乱闘が頻繁に起きるにもかかわらず,TVのスポーツ番組が始まる前に特に視聴注意の警告が出ることはありません。カナダではアイスホッケーの暴力は社会的に認められているということかもしれません。アイスホッケーに限っていえば,あたかも19世紀のまま時間が止まってしまったかのようです。これは一体,どういうことなのでしょうか?

     

     

    おそらく,それがカナダ文化の一面なのだと私は思います。そして,なぜそうなったのかといえば,それは,窮地に追い込まれた経験がほとんどないという,カナダの極めて幸運な歴史がそうさせたのではないかと思います。

    その意味はこういうことです。カナダは,アメリカが独立戦争でイギリスと対決したようにはイギリスと対峙する必要はありませんでした。すなわち,カナダは英国連邦の中に留まり続けましたので,その点では,イギリス国王の権力を完全に否定して人民の意志により政府を樹立しようとイギリスと決定的に対立したアメリカに追従することはありませんでした。しかしその一方で,カナダは隣国のアメリカで生まれ発展した民主主義を部分的にせよ取り入れることができたため,細部はともかく,全体としてはアメリカと同じような民主主義国家を作り上げることができました。カナダは大きな犠牲を払うことなく果実を得ることができたのです。

    これは“困難な状況に追い込まれたアメリカ人がそれを克服しようと必死で何かの方策を編み出し,それが良い結果を生んだ場合,後に同様の方策がカナダで取り入れられてカナダ社会を豊かにする”という構図ということになります。このような,アメリカが一定の成果を達成した場合にカナダがアメリカをモデルとして後追いするという構図は,カナダ社会の中にいくつも見いだすことができます。

    例えば,カナダのニュース番組ではアメリカの出来事が驚くほど多く放送されます──ニュースにはカナダの首相よりもアメリカ大統領の方が頻繁に登場しています──が,アメリカをモデルとして後追いしようとする構図のもとでは,カナダの人々がアメリカの動向を気にするのはごく自然な事です。

     

     

    そして同じような構図がカナダのカレッジスポーツにも見いだせます。カレッジスポーツに関しても,カナダはとても幸運だったのです。なぜなら,カナダの大学のほとんどは州立大学(公立大学)で,私立大学のように学生数の確保に悩む必要がなかったのです。ですから,カナダの大学教員たちは,アメリカの大学教員のようにカレッジスポーツが抱えるジレンマに悩まされることもなく,困難な問題に取り組む必要もありませんでした。しかし,アメリカの大学教員たちの苦悩の賜物ともいえるフットボールの近代化という成果は,カナダのフットボールにしっかり取り入れられたのです。ここでも,カナダは大きな犠牲を払うことなく果実を得ることができました。

    ところが,カナダ生まれのアイスホッケーに関しては,残念ながら,カナダに移入できるモデルがアメリカになかったのです。ホッケーはカナダ生まれのスポーツですから,当然のことですが,アメリカに“近代化されたアイスホッケー”というモデルがなかったが故に,カナダのアイスホッケーは近代化される機会がなかったのです。

    そして,少なくとも現在までのところ,カナダ人の大多数は,アイスホッケーには真剣に取り組むべき重要課題はないと考えているようですので,アイスホッケーは前近代的な姿が今もそのまま残っているということだと思います。

     

    *1:アイスホッケーの現行ルールは暴力行為に対するペナルティが非常に軽く,実質的に暴力を抑止する規定となっていないのです。このことは乱闘が多発していることからも明かです。例えば,ある選手が退場処分を受けても,すぐに代わりの選手が出場できるので,勝負にはまったく影響が出ないようになっています。

    *2:“Tim Hortons”というのは,ドーナッツとコーヒーを中心に販売するカナダ最大のファストフード・チェーン店で,幅広い年齢層のカナダ人から愛されています。店名は,1900年代中頃に活躍したプロ・アイスホッケー選手で創立者のひとりであるTim Hortonに由来します。

     

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[1] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[2] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[3] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[5] <

     

    > 文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[7]

     

  • カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[7]

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[7]

    Vincent A. @ ELC Research International

     

     

    アイスホッケーの起源については英文校閲者であるDavid Gordon-MacDonald氏から重要な示唆を得ましたのでご紹介します。

     

    カナダのアイスホッケーは,元々は冬に村々の池や凍てついた裏庭にできる自然のリンクを使って行われた遊びです。このゲームは村の人々の遊びであると同時に,開拓者精神に富んだ荒々しく行動的な男たちの遊びでもありました。ですから,このゲームでは強靱な肉体を持っていることが重要な要素でした。

    ホッケーは労働者たちのスポーツで,他のスポーツのように教養のある人々が規則作りに関与するようなことがなかったのです。例えば,同じように英国の労働者階級の遊びであったサッカーも,現在の競技規則の元となった最初の規定は英国貴族が作成したはずですが,残念ながらカナダの村人の遊びであり続けたアイスホッケーでは,そのようなことは起こらなかったのです。

    アイスホッケーはカナダのノヴァスコシア(Nova Scotia)で始まったと言われています。ノヴァスコシアというのは19世紀の頃,スコットランド人が多く住む地域でした。彼らはシンティ(Shinty)という,フィールドホッケーに似た,スコットランドのハイランド地方で盛んだった遊びの一種として,アイスホッケーを,但し草の上ではなく氷の上で楽しんでいました。シンティで使うスティックは両側が平坦になっていて,アイスホッケーで現在使われているスティックによく似ています。しかし,スコットランドでも,シンティはもっぱらハイランド地方の人々遊び,あるいは都市部に移住したハイランド出身者が遊ぶゲームだったのです。

    実際,このゲームの起源は,ハーリング(Hurling)という,ケルト人兵士の娯楽であったアイルランドのゲームによく似ています。スコットランドのシンティやアイルランドのハーリングのようなゲームは,元々,ケルト人兵士が戦いの合間に,身体がなまらないよう戦いを模して行ったスティックとボールを使ったゲームから始まったのです。アイルランドでは2000年近い歴史があるようです。

    アメリカのカレッジスポーツの発展には大学教員たちが大きく関与してきましたが,このシンティにしても,アイスホッケーにしても,アカデミックな人々がその発展に関与することはありませんでした。現在,カナダの大学にもホッケーのプログラムはあるのですが,アカデミックな関与という点では,期待できそうにありません。

     

     

    実は筆者はアイスホッケーの練習試合をリンクの脇で見た経験が1回だけあります。選手たちの動きや打ち込まれるパックの速さと衝撃,氷が削り取られる生の音などはテレビから伝わるものとはまったく異なり,強烈な迫力があります。アイスホッケーがカナダで絶大な人気を博しているのも十分うなずけるところです。

    これだけ魅力があるスポーツなのですから,アイスホッケーは暴力行為がなくとも十分に楽しめるスポーツではないかと思います。そのことにカナダの人々にも早く気づいて欲しいと思います。アメリカにホッケーのモデルはなかったかもしれないけれど,大学教員たちの誠実な努力によって,死傷者が多発していた粗暴なスポーツから暴力行為がほとんど見られない洗練されたスポーツへと進化したアメリカンフットボールという見本があるのですから,カナダのアイスホッケーもぜひそれをモデルとして遅ればせながら近代化を目指して欲しいと思います。

     

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

     

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[1] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[2] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[3] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[5] <

    文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[6] <

     

  • 歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホームThe Truth of Victoria Oriental Home[2]

    歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[2]

    Michiko Midge Ayukawa, PhD

     

     

    オリエンタルホームの話題を避ける理由

    日本人全員が西海岸から強制移住させられた1942年5月の段階で,ビクトリアのオリエンタルホームには18人の日本人児童がいました。その内の11人は12歳未満の子どもです。強制移住によって,子どもたちはサスカチュワンのアシニボイアにある女子寮に送られました。全員,母親がなく父親は抑留地に送られた子どもたちで,また彼ら自身も西海岸地域の外に追いやられた訳です。オリエンタルホームは閉鎖されてしまい,建物はElksやKnights of Columbusなど他の団体が使用することになりました。

    さて,これまでの私の説明では,オリエンタルホームがなぜ日本人・日系人の間で噂話としてしか話題にのぼらなかったのか,その理由がお分かりいただけないかもしれません。オリエンタルホームについて話しにくい雰囲気が日系社会にある理由は,オリエンタルホームが元々は中国人売春婦の避難シェルターとして建設されたもので,後になると数人の日本人売春婦もそこで保護されていたからなのです。

    日本人売春婦のほとんどは,1800年代から1900年代初期にかけて米国に密入国し,後に国境を越えてBC州内部(KootenaysやCariboo),そして南アルバータに連れてこられました。バンクーバーの新聞社『大陸日報』の記者が実際に売春婦たちに取材してまとめた資料があります(長田正平著『加奈陀の魔窟』(かなだのまくつ))。それによると,鉱山が閉鎖されるたびに日本人売春婦がオリエンタルホームに救いを求めたようですが,病死や年月が経たこともあり,生存者はいないようです。

     

     

    真壁知子さんが数名の写真妻の生活を調査していますが,そのひとつは,2回の悲惨な結婚生活を経てオリエンタルホームで保護され,その後,洋裁業で成功した女性の話です。

    私自身は2世で,オリエンタルホームについての噂話をよく聞きますが,カナダ基督教団の女性伝道会によって実際に救われた人々のこともよく知っていますので,オリエンタルホームが今もなお悪く言われている現状をとても悲しく思います。

    オリエンタルホームについての噂話とは,保護されていたのは売春婦で,女性としても低級の人間であり,日本人の恥さらしだというものです。しかし実際は売春婦の女性はごく一部にすぎず,保護された大多数の方たちは,生命の危険に直面してなお生きようと必死であった女性たちです。日本人コミュニティの外に出ることは現実的には難しく,一方で彼女たちに手を貸そうとする日本人はほとんどいなかったのです。オリエンタルホームに救いを求めた女性たちの勇気は賞賛されるべきもので,悪く言われるべき筋合いのものでは決してないと私は思います。

    日系カナダ人はカナダ基督教団の女性伝道会から,返し尽くせないほどの恩義を受けています。オリエンタルホームの他にも,この伝道会は太平洋戦争中にカナダ内陸部のキャンプ地に中学校を設置してくれました。彼らの献身的援助がなければ,戦後,私たちがカナダで教育を受け続けることは難しかったでしょうし,カナダ社会で生活を立て直すことが一層困難であったと思います。

    オリエンタルホームについては,噂ではなく事実を直視しましょう。歴史をよく調べた本もいくつかあります──とても慈悲深い人々が実際に存在していましたし,一方では邪悪な心をもつ人々も確かにいました。大勢の日本人女性や男性たち,そして子どもたちは,慈悲深いキリスト教女性信者の方たちによる救いがなかったとすれば,生き延びることはとても難しかったという歴史を,私たちは忘れてはいけないと思います。

    右の写真はカナダBC州ビクトリア市のロスベイ墓地にある「ORIENTAL HOME」と刻まれた墓標。埋葬者の詳細は現在のところ不明です。

     

     

     

    Michiko Midge Ayukawa, PhD (1930 – 2013)

    1930年バンクーバーにおいて,広島県尾道市出身の移民1世である両親の間に第3子(長女)として生まれる。1942年のカナダ政府の強制移住政策による抑留生活を経験した後,1955年にKarl Kaoru Ayukawa氏と結婚し,5人の子どもをもうける。歴史学者。著作に“Hiroshima Immigrants in Canada 1891-1941”, 2008, UBC Press。

     

    © 2010-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

    本稿はJaponism Victoria, vol.5, no. 7, 2010の掲載記事「The Truth of Victoria Oriental Home」に加筆修正をしたものです。

     

    歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[1]<

     

  • 日本語で学ぶ Learning in Japanese[2]

    日本語で学ぶ[2]

    内藤 邦彦 @バンクーバー日本語学校

     

     

    補習授業校

    前回の日本人学校のお話しのなかで述べましたように,現在,海外で暮らす義務教育段階の日本人の子どもは約6万人です。そのような子どもたちに日本人としての教育を行うための海外施設が,前回お話しした日本人学校とこれからご説明する補習授業校(補習校)です。

    補習授業校は,日本人の子どもが現地の学校や国際学校(インターナショナルスクール)に通学しながら,土曜日や放課後などを利用して学ぶための施設で,日本国内の小学校・中学校の一部の教科について日本語で授業が行われます。補習授業校は日本人学校と同様に,現地の日本人会等により設置・運営されています。昭和33年(1958年)に米国のワシントンに設立されて以来,世界55カ国,201校の補習授業校が設置されており,約1万7千人の子どもたちが学んでいます。カナダBC州ではバンクーバーに,このほかアルバータ州,ノバスコシア州,オンタリオ州,ケベック州,サスカチュワン州に補習授業校が設置されていますが,ビクトリアにはありません。

    補習授業校では国語を中心に,また施設によっては算数(数学),理科,社会などを加えた教科について,基礎基本を習得するための授業が日本の教科書を用いて行われています。補習授業校の年間授業日数は40日から50日程度のところが多く,教科書の内容を精選して指導しています。また,補習授業校は現地のいろいろな学校に通学している日本人の子どもたちが週に一度,一緒に会える数少ない機会でもありますので,日本の学校の学習習慣や生活習慣などを指導して,日本の学校文化に触れることのできる貴重な教育の場となっています。

     

    設置目的・教育目的という面から考えると,補習授業校とは:

    • 【教育対象】現地の学校に通学する児童生徒が
    • 【教育目標】再び日本国内の学校に編入した際にスムーズに適応できるよう
    • 【教育内容】基幹教科の基礎的基本的知識・技能および日本の学校文化を
    • 【教育方法】日本語によって教育する

    ための教育施設ということができます。

    お子さんを補習授業校に入学させる時に親ごさんがこの設置目的・教育目的をよく理解されておられると,入学後にお子さんに無理な学習を強いるようなことがなくなるでしょう。

     

     

    日本に帰国した後にお子さんが学校生活にスムーズに適応できるようにするためには,補習授業校での学習においてつぎ点を大切にされるとよいでしょう。

    1. 補習授業校の勉強・宿題をきちんとやる。
    2. 家庭内ではできるだけ日本語を使う。
    3. 家庭でも日本語の本を読む。

    その際に,親ごさんもお子さんと一緒に補習授業校の勉強をしていくという姿勢がとても大切で,これはお子さんの学習状況を把握する上でとても役立ちます。

    ここで補習授業校における教師について少しふれておきたいと思います。教育の質が教師の質に大きく左右されることはいうまでもありません。特に,国内に比して教育条件が十分ではない補習授業校においては,教師の果たす役割は極めて大きいといえます。日本から派遣される教師と現地採用の教師の調和も必要です。また,親ごさんがお子さんから学校生活の話をいつも聞くようにし,お子さんの話から親が教師についてよく知ようにし,教師とともにお子さんを温かく育てるようにすることが大切です。教師からお子さんの成長についての適切な助言を得られるような関係を作るようにしましょう。

    最後に,私が補習授業校の教師であったとき心していたことをお伝えしたいと思います。

    • 児童生徒には日本の学校で勉強するための基本的学習姿勢が身につくような指導をする。
    • 授業がクラスみんなの積極的な参加によって成立するように指導する。
    • 学習目標は家庭学習と教室学習との両立によって,それぞれの子どもに応じて達成できるよう指導する。
    • 家庭との連携を図り,家庭は第二の教室と考え,保護者との信頼を第一とする。
    • 児童生徒の学習の発展は,ひとりひとりの個性を見極めてこそ成り立つと心しておく。

    次回は日本語学校についてお話します。

     

    著者経歴:東京学芸大学教育学部数学科卒。日本女子大学附属豊明小学校教諭,バンクーバー補習授業校教頭を経てバンクーバー日本語学校主任教諭。

    本稿はJaponism Victoria, vol.3, no.2, 2009掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。著者経歴は執筆時のものです。

     

    日本語で学ぶ[1]<

    > 日本語で学ぶ[3]

    > 日本語で学ぶ[4]

     

     

  • 日本語で学ぶ Learning in Japanese[3]

    日本語で学ぶ[3]

    内藤 邦彦 @バンクーバー日本語学校

     

     

    日本語学校

    日本人学校と補習授業校に続いて日本語学校についてお話しします。日本語学校とは,ひとくちでいえば日本語を学ぶための学校です。すべての日本語学校で日本語を教えています。ただし,日本語を教える方法にはそれぞれの学校の独自性が表れているため,日本語学校での教育内容や教育方法をひとまとめにお話しすることができません。なぜ独自性が強いかといいますと,この日本語学校というのは日本の文部科学省が管轄する学校ではなく,また現地の公立校でもない,私学や私塾であるからです。

    従って,日本語学校の授業内容は「日本文化を多く取り入れて日本語の授業をする」「日本の国語の教科書を使い日本語の授業する」「日本語の読み書きを中心に授業をする」「国語の教科書や漢字プリントを使い検定を目的にした授業をする」等々,様々です。多くの日本語学校ではこのような日本文化を意識した授業をしているはずですが,重点の置き方が学校ごとに異なります。それぞれの日本語学校は独自の理念と教育目標をかかげ,地域の特性や期待感に基づいて教育を推進していますので,生徒,教師,保護者の姿も学校ごとに様々といえるでしょう。

    私が勤めているバンクーバー日本語学校では,百年の歴史をふまえながら幼児からおとなまで日本語学習を進めるとともに,日本文化を伝承することを理念とし,バンクーバー社会との交流を深めながら日本語教育に邁進(まいしん)しています。学校行事にも日本の伝統文化を多く取り上げ,入学式,卒業式,運動会,学芸会,秋祭り,もちつき,節分,ひなまつり,こどもの日,七夕などを教育活動の大切な柱として,楽しい学校生活を作っています。また,バンクーバー地域の他学校の生徒に日本文化を紹介するため,書道,茶道,歌,着物,折り紙,武道などの教室を開いています。

     

     

    日本語学校は義務教育ではありませんので,入学するか否かという「入学の選択」が生じます。もちろん,これまでにお話しした日本人学校にも補習授業校にも「入学の選択」はありますが,日本人学校は日本の学習指導要領に沿った授業を行う日本の義務教育としての学校,また補習授業校は基本的に,現地の学校に通学していることを前提として日本へ帰国する準備のための学校です。したがって,これらの学校で学ぶ場合には保護者・生徒に「日本への回帰」が強く意識されています。

    これに対して日本語学校の場合は,そのような回帰意識は必ずしも強くありません。日本語学校は日本人の義務教育機関でも,日本人だけが通学する学校でもありません。日本語学校への入学は,あくまで日本語の維持や習得を目的とした選択となります。その点が日本人学校や補習授業校と大きな違いです。

    したがって,日本語学校への入学は日本語を学びたい(学ばせたい)というお気持ちが基盤となりますので,お子さまを日本語学校へ通わせる場合は,保護者の方がこのようなお気持ちをしっかりお持ちかどうかがお子さまの学習成果にも影響します。それは,学習を続けていくと誰にでもそれを妨げるような問題が生じるのですが,そのときに,保護者の方からの暖かな励ましと手助けが,お子さんの日本語学習が成功するかどうかの分岐点になるからです。

    • あきらめてやめたら,きっと後悔しますよ!
    • がんばってつづけたら,きっと感謝しますよ!

     

    著者経歴:東京学芸大学教育学部数学科卒。日本女子大学附属豊明小学校教諭,バンクーバー補習授業校教頭を経てバンクーバー日本語学校主任教諭。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.3, no.4, 2009掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。著者経歴は執筆時のものです。

     

    日本語で学ぶ[1]<

    日本語で学ぶ[2]<

    > 日本語で学ぶ[4]

     

     

  • 日本語で学ぶLearning in Japanese[4]

    日本語で学ぶ[4]

    内藤 邦彦 @バンクーバー日本語学校

     

     

    日本語で学ぶ意味

    日本人学校,補習授業校,日本語学校と3回にわたってお話しした『日本語で学ぶ』シリーズも今回で最後です。そこで,これまでのまとめとして,大切にしたい点を3つ挙げたいと思います。

    まず『保護者のお気持ち』についてです。日本を離れ海外でお子さまが日本語の学習を進めるとき,多くのご家庭で日本語学習の継続が難しくなる状況が起きます。前回も述べましたように,そのような場合,子どもに日本語を学ばせたいというお気持ちを保護者の方がしっかり持っていらっしゃるかどうか,またそのお気持ちからお子さまに暖かな励ましと手助けをなさるかどうかが,お子さまの日本語学習継続の分岐点となります。

    ここで考えておきたいのは,そのような保護者のお気持ちの本質なのです。子どもに日本語を学ばせたいというお気持ちを保護者の方がしっかりお持ちになるためには,日本語を学ぶ意味を保護者がよく理解されることが大切なのです。

    • いつか日本に帰国した時に,きっと勉強している日本語が役に立ちますよ。
    • 今やめてしまったら,後から日本語を勉強するのはとてもたいへんですよ。
    • 大きくなったら必ずよかったと思うから,がんばって日本語の勉強をつづけなさい。

    などというのは子どもに対する激励であるとしても,日本語を学ぶことの本質ではないのです。日本語を学習するということは日本という国を知ることなのです。それぞれの言語はそれぞれの文化を伝承し,発展させるものです。「子どもに日本語を学んで欲しい」という保護者のお気持ちは,「子どもに日本という国を知ってもらいたい」という願いが基盤になっていて欲しいのです。

    あなたはカナダという海外の地にいて,子どもに日本という国をどのくらい知って欲しいのでしょう。あなたは,日本語で学ばせることによって,子どもに日本という国をどのように知って欲しいのでしょう。このようなご自身のお気持ちをよく確認なさることが大切でしょう。

    第2に『日本文化を学ぶ』という点です。日本人学校と異なり,日本政府からの経済援助を受けていない日本語学校でも,独自の教育理念を掲げて情熱を持って学校経営に努力しています。多くの日本語学校では,学校行事に日本文化をとり入れた学習活動を大切にしていますし,教師たちも教材・教具にもできるだけ日本のものを活用しようと工夫しています。これは,ほとんどの日本語学校が単に日本語の言語能力を獲得することだけを目的とした語学学校ではないからです。日本語が話せるようになるというのは学習過程の目標であっても,ゴールではないのです。漢字が書けるようになるというのは学習成果の嬉しい表れであっても,ゴールではないのです。

    また,日本文化を学ぶということは,単に日本の習俗・習慣,歴史を学ぶことではないはずです。私は,子どもたちには,今の日本を知らせることを中心にして日本文化を考えてもらいたいと思います。教室では,今の日本について授業ができるように,教師はいつもしっかりと日本を注視して欲しいと思います。家庭では,今の日本が話題にのぼるように誰かがいつも日本のことに関心を持っていてくれるといいでしょう。子どもたちには,過去と現在を知って夢のある未来のゴールをめざして欲しいと願うからです。

     

     

    最後に『子どもと先生』についてです。連載も最後になりましたので,子どもと先生について私の基本的スタンスを述べておきたいと思います。

    Q:どんな子どもが良い子で,どんな子どもが悪い子ですか?

    A:子どもは,どの子もみんないい子です。

    Q:どんな先生が良い先生で,どんな先生が悪い先生ですか?

    A:子どもをよく見ている先生が良い先生です。子どもをよく見ていない先生が悪い先生です。

    教師の評価は授業の巧拙だけで決まるものではありません。特に初等教育・中等教育では,児童生徒をどれだけ知っているかが決定的に大切です。教師の評価をしたいときは,直接会って子どものことを尋ねてみればすぐ分かります。とりわけ,「うちの子のよいところは,どんなところですか?」と,聞いてみてください。良い教師は即座に,10や20いいえ100までも聞かせてくれることでしょう。ちなみに,悪いところを聞いてもその判断はくだせません。

    また,親しくなりすぎる教師も考えものです。教師との信頼は大切ですが,仲良しとはちょっとちがいます。

    そして,日本語学校の『子どもと先生』は,日本語の持つ美しさで結びついていたいと思います。子どもが頑張って勉強した日本語で表現してくれた時,教師はどんなに嬉しいことでしょう。先生が,その子にぴったりと合った日本語で話しかけてくれた時,子どもはどんなに嬉しいことでしょう。こんな時,私たちは日本語の持つ素晴らしさと日本語を学んだ嬉しさが実感できるのです。

     

    著者経歴:東京学芸大学教育学部数学科卒。日本女子大学附属豊明小学校教諭,バンクーバー補習授業校教頭を経てバンクーバー日本語学校主任教諭。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.3, no.5, 2009掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。著者経歴は執筆時のものです。

     

    日本語で学ぶ[1]<

    日本語で学ぶ[2]<

    日本語で学ぶ[3]<

     

  • 桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」European Union, the Birth and Progress[2]

    桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[2]

    内田 晃

     

     

    欧州統合思想

    こうした大局的な流れの一方で,悪化していく戦勝国と敗戦国の関係(特に仏独関係)を改善し,欧州各国がひとつにまとまる必要性を説く動きがありました。この欧州統合思想を最初に掲げたひとりがリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)(*1)で,その先駆的な思想活動から「欧州統合の父」といわれています。

    カレルギーは,世界は米国,イギリス,欧州,ロシア,そしてアジアの5つの勢力圏に分けられると考え,欧州ブロックは第一次大戦の戦火で戦勝国も敗戦国も甚大な損害を被り,分裂状態にあるという危機意識を有していました。彼の考え方には当時の欧州独自の立場が表れています。

    ひとつは,米国とロシア(当時はソ連)が明確に分けられている点です。当時の欧州はソ連の脅威に対抗し,米国との経済競争に対抗しなければならない状況にありました。もうひとつは,イギリスとヨーロッパを区別している点です。これは主に当時のイギリスの経済基盤が他の欧州各国よりも遥かに安定しており,イギリスは単体で成立し続けられると考えられたためです(*2)。

    カレルギーは,このような危機的状況にある欧州ブロックが生き残るためには,欧州諸国がひとつにまとまる必要性があると考えました。彼の欧州統合思想は当時,かなり先駆的でしたが,続く第二次世界大戦を経て,徐々に現実的な案として受け入れられていきました。

    この流れをさらに促進したのが冷戦時代における米ソ対立構造でした。特に地理的に隣接するソ連勢力の拡大に対する対抗手段として,欧州各国統合の重要性が認識されていきました。例えば,欧州内では先の大戦のきっかけになった仏独関係の修復に焦点が置かれ,様々な歩み寄りが考案されましたが,そのひとつが1950年のシューマン宣言です。また,1951年には欧州石炭鉄鋼共同体が設立されました。この共同体は,主として武器・兵器に使われた鋼鉄と石炭の供給・使用を制限することで,経済的な面から戦争の再発を防止することを目的としていました。戦後の欧州復興に力を入れていた米国の支持が得られたこともあり,経済的な側面からの欧州統合を進めようとする試みは,1958年の欧州経済共同体(EEC)の発足へと繋がっていきました。

     

     

    ────経済の他に文化的側面からも欧州を統合しようというアプローチはあったのでしょうか?(塾生N.O.)

     

    欧州統合という発想の背景には,主に戦争や経済的な問題がありました。例えば,米ソ冷戦構造の下での安全保障上の問題,米国製品の輸入に対抗するための自国製品の優位性の維持といった経済上の問題です。そのため文化面から統合を試みようという動きは二の次にならざるを得なかったと思います。欧州各国は自国の文化・風習といった自国のアイデンティティーを相互に尊重し維持しながら,経済的なメリットを追求し統合を果たしたのだと思います。

    また,「欧州文化」と言っても実際には各国の間で大きな違いがあります。民族も言語も多岐にわたり,宗教も異なります。余談になりますが,食文化を例にとるならば,イギリスとフランスは地理的には非常に近いのですが,食生活における基本的な考え方は大きく異なります。一般にイギリス人は「生きるために食べる」といわれているのに対して,フランス人は「食べるために生きる」といわれています。グルメガイドなどでイギリス料理が低く評価されることが多いのに対し,フランス料理は美味しいものとして紹介されがちなことをイメージするとわかりやすいでしょう。また,ドイツは土地が痩せているため,ドイツの主食は芋と言われています。そして保存的要素の強いソーセージやキャベツの酢漬け(ザワークラウツ)が有名です。

    このように幅広い文化の違いを統合しようというのは,経済的な統合よりも難しかったのではないかと思います。ただ,統一市場の発達により,自国に足りない食料品を安価な価格で輸入できるようにすることで,食料供給の大幅な改善や食文化の交流を促したのではないかと思います。

     

    *1: カレルギーは,オーストリア・ハンガリー帝国の外交官であった父のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と日本人の母,青山みつのと間に生まれた,日本出身のオーストリア政治活動家。1923年頃より『パン・ヨーロッパ』という政治雑誌を発行し,欧州統合思想を欧州各国に説いていました。

    *2: カレルギーが示した勢力圏構想に欧州独自の立場が表れているもうひとつの点は,アフリカ諸国が勢力圏から除外されていることです。これは当時の欧州各国にとって,アフリカ諸国は自国の植民地であって自国の経済発展の要としてそのまま維持されるべきものと考えられていたからです。

     

    講師略歴:

    内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。

     

    EU(欧州連合)の成立と現在[1]<

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  • 桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」European Union, the Birth and Progress[3]

    桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[3]

    内田 晃

     

     

    加盟国の主権

    1958年にスタートしたEEC(欧州経済共同体)は,現在の経済用語で言えば自由貿易協定に近いものでした。しかし,これは主に経済面での共同体制であって,欧州統合とはいいがたいものでしが。実際,EECと並行して1958年には,エネルギー分野での共同管理の進展を目的とした欧州原子力共同体も発足しています。また,EECがEUへと発展した際に,加盟国間で欧州安全保障・防衛政策や警察・刑事司法協力体制に関する取り決めが併せて行われました。このような統合の深化の結果,欧州諸国は単純な経済的統合から,政治・法律・安全保障などを含む総合的な統合へと発展したといえるでしょう。

    一方で,このように統合が深化したことで,EUという大きな枠組みが各加盟国に及ぼす影響力も強くなっていきました。そしてそれは,今後加盟を希望する国々が直面する大きな課題になります。そのひとつが加盟国の主権の制約に関する問題です。

    EUでは欧州委員会,欧州連合理事会と欧州司法裁判所がそれぞれ行政・立法・司法を担当しています。したがって,EUを,実質的に三権分立体制を持つひとつの国家として見ることもできます。それゆえ,ある国家がEUに加盟するということは,その国家・国民がEUの決定事項に従う義務が生じることを意味します。すると問題になるのは,それまでその国家が専管的に有していた主権,例えば国内法の内容や執行,解釈の仕方をどこまでEUの法体系に合わせられるかということです。

    加盟を申請した国ごとに,政治的・経済的な各種基準や規範を含むその国の主権事項をひとつひとつ見直して,EUという枠組みに適合するか否かを判断し,適合しないと考えられる場合は,どのように国内法令を修正させるのか考えなくてはなりません。ひとつの国家の法体系は膨大な数の法令から成り立っていますので,そのすべてについて細心の注意を払って検討し,さらに全体として矛盾がないことを確認せねばならず,これは膨大な手間と時間を要とする作業です。

     

     

    ────経済から始まり政治,安全保障,エネルギーと統合が広がりましたが,文化,特に宗教という側面が欧州統合の過程で問題になったりしなかったのでしょうか?(参加者B)

     

    欧州内では主にキリスト教が普及しており,教派は新教,旧教,ギリシャ正教,英国統一教会などに大まかに分かれ,欧州各地に分布しています。しかし,各教派はお互いに棲み分けができており,また各国がキリスト教を基盤としていますので,これまでの欧州統合の過程では宗教は大きな問題にはならなかったのだと思います。

    しかし,今後はEU加盟のプロセスで宗教上の違いが重視されると考えてよいでしょう。実際に加盟候補国のひとつであるトルコは,世俗的と言われているもののイスラム教を主たる宗教としているため,現在,EU加盟の審査で慎重な議論が行われています。

     

    講師略歴:

    内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。

     

    EU(欧州連合)の成立と現在[1]<

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  • 桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」European Union, the Birth and Progress[4]

    桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[4]

    内田 晃

     

     

    ブレグジット:EUにおけるイギリスの役割

    イギリスのEU離脱(ブレグジット)に関しては,イギリス国内への急激な移民流入が離脱理由に挙げられることが多いのですが,欧州統合の歴史のなかでのイギリスの立場を振り返ると,別の側面も見えてきます。

    前述のカレルギーの欧州統合思想にもみられるように,本来,イギリスは欧州統合に参加せずともひとつの勢力圏として成り立ち得る国家でした。また,イギリス国民のなかにも,欧州内の特定勢力に与(くみ)することなく,欧州のバランサーとして「名誉ある孤立」を望む伝統的な自負があったことも事実でしょう。

    しかし,現実には時代の流れと共に1973年にEECに加盟しつつ,一方では,他のEEC加盟諸国の間で見られる経済的な格差問題を解決できるよう援助するという,バランサーの立場をとり続けてきました。

    冷戦構造が崩壊すると,次第に東欧諸国がEU加盟を望むようになりました。ところが,冷戦時代の間に西欧諸国と東欧諸国の経済格差が増大していたため,東欧国家がEUに加盟するたびにイギリスがバランサーとして担わねばならない経済負担が激増してしまいました。EECの時代と比較すると,西側と東側の国家間の経済格差が著しく拡大していたのです。その意味では東西国家間での欧州統合には元々無理があるのかもしれません。

    したがって,今回のブレグジット問題は,報道されているような難民急増によるイギリス国内での弊害に対するイギリス国民の反発というよりも,東欧諸国からのこれ以上の移民の流入や,EU本部から各種の経済規制をこれ以上強要されることをイギリス国民が嫌った反応とみるできます。私は1990年前後にイギリスで勤務していたこともあり,イギリス人の国民性を考えると,イギリスがユーロ通貨を採用しなかった時点で,将来EUから離脱する可能性もあると常々感じていました。

     

     

    ───ブレグジットによるイギリス本国や日本への影響は大きいのでしょうか? 他の加盟国も触発されて離脱するという可能性はありますか?(参加者C)

     

    EU加盟に際してイギリスはユーロを受け入れず,自国通貨のポンドを維持していましたから,イギリス自体への影響は日にちの経過と共に相対的に小さくなる可能性が高いと思います。一時的に軌道修正に伴う失業や,ポンドの下落は免れないと思いますが,調整期間を経て,イギリスの主産業である金融業が持ち直し,実力を発揮できるかどうかがポイントになるでしょう。

    日本への影響については,英語がもつ言語的利便性からイギリスを欧州進出の拠点とし,統一市場を利用して欧州に進出している日本企業がかなり多いのですが,ブレグジットによってイギリス経済が悪化または停滞した場合,大きく影響を受けるかもしれません。しかし,実際にそうなった場合,日本企業は統一関税を重視して,イギリス以外のEU諸国へ進出することでブレグジットの影響を回避するのではないかと思います。

    他の加盟国が離脱を触発される可能性は低いでしょう。現在,EU圏内では公用語として英語,フランス語,ドイツ語,スペイン語,イタリア語などEU加盟国のすべての言語が定められています。これは言い換えれば,それぞれの国が自国の言語にそれだけの誇りを持っており,ある言語の強要によって自国の主権が失われるのを懸念しているためです。ただし,欧州統合の歴史をふりかえると,今回のブレグジットに触発されて,万が一,設立当初からの当事国であるドイツかフランスの一方でも離脱を決めた場合,EUがその存在意義を維持することは難しいくなるのではないかと思います。

     

    ───EU離脱を規定しているリスボン条約が注目されていますが,この条約成立の背景に東欧諸国の加盟増大に対する警戒があったのでしょうか?(参加者D)

     

    詳しくは分かりませんが,EU拡大による組織の不効率,不経済といった側面があったかもしれません。EEC発足を規定したEC法ができたのが1957年で,リスボン条約が2009年です。この間,EUは急速に拡大しましたので,西欧諸国というほぼ同質の国々が加盟している段階では離脱という選択肢を考える必要はなかったものの,東欧諸国の加入によりリスボン条約を作り,離脱に関する規定を用意したという見方はあるでしょう。

    実際にそこまでの深慮があったかは分かりませんが,一般的に条約の構造から言うと,国際機関を設立する場合,当然,加入と脱退に関する規定が設けられます。また,東欧諸国への警戒以外にも,リスボン条約の成立にはEU加盟国というメンバーシップを維持することが難しい国々に対する脱退の権利を明記した側面もあります。実際,EUに加盟すると分担金の支払い義務が生じますので,義務が果たせなければ加盟国としての権利を失うことになります。また,EUの政策にこれ以上ついて行けないという国も出現する可能性がありますので,脱退条項が設けられたともいえます。(了)

     

     

    ───塾生たちより

    私たち塾生はEUに対して分かりにくいというイメージを持っていましたが,今回のお話を伺うことで,欧州統合の歴史背景や思想,そして現在のブレグジットに関する新しい一面を学ぶことができました。なによりバンクーバーで生活している私たちにとって,日本語学校以外の場でこのような時事問題・歴史を日本語で詳しく学べる機会は,非常にありがたいもので,大変勉強になりました。

    また,講演ではEUとは別に,日本やカナダにおける難民・移民の受け入れの難しさや,安全保障の観点から見るテロリズムの問題点など興味深いお話も聞くことができました。「平和を望むからこそ戦争について知る必要があります。限られた自衛力の中で戦争を未然に防止し,日本の主権と独立,国民の生命と財産を守るための安全保障を,日本の場合は『外交』という手段によってどのように実現するかが大事なのです。そのような事を啓発するためにも軍事に関する知識や歴史,兵法や戦略について書いた本を執筆したいと考えています。」という,平和と戦争に関する内田さんの言葉が印象的でした。ご講演いただき誠にありがとうございました。

     

    講師略歴:

    内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。

     

    EU(欧州連合)の成立と現在[1]<

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  • 指圧の真髄 The Quintessence of Shiatsu[2]

    指圧の真髄[2]

    池永 清 @ Canadian College of Shiatsu Therapy

     

     

    指圧の社会的認知

    前回は指圧がどのような状況で誕生したのかを述べました。その経緯は指圧の創始者である浪越徳治郎が母を思う気持ちの歴史でもありました。四国から移住した北海道での生活は寒さと貧困が一家を襲い,母を病に落とし入れたのです。医療も薬もない環境の中で徳治郎が始めたのが,指で患部を押して治療する指圧でした。それが社会に認知されていく過程には様々な困難と障害が襲いました。しかし,徳治郎の心には母を苦しみから救った事実が信念となって,時代の困難を打ち破って行きました。

    母を全快させた徳治郎は大正14年,21歳のときに北海道室蘭に指圧専門治療院を開院しました。母と同じような苦しみを持つ人を救いたかったのです。そして,昭和9年には『指圧療法と生理学』という著書の発表し,昭和15年には日本指圧学院を開校しました。指圧の効果を少しでも多くの人々に伝えたい一心で働いたと言われています。

    しかし,日本が第二次世界大戦に敗れたことで,指圧を含む当時の民間療法は厳しい時代を迎えることになりました。それは,変化を強いられた価値観や社会通念が民間療法を否定することから始まります。当時,日本を占領していたGHQは民間療法を制限する法律の制定に着手しました。それ以前は,日本における民間療法は所轄警察署へ届け出ることで開業することができたのですが,それが制限されたのです。

    確かに,日本の医療擬似行為には安全が保証されているかどうか不確かなものや,医療効果が危ぶまれるものも多く存在しました。しかしこの時点で,日本人がそれまで育んできた自然感覚を基礎にした人間の健康促進技術の多くが失われることになったのです。GHQは日本の医療に関しても法律に準拠した制度の下で行わせることで,日本に近代国家としての様変わりを求めたといえます。このような国家体制の変化は民間療法の存続を左右する決定的な力となりました。

    指圧もこの強靭な政治体制の下で自らの立場を主張しなければなりませんでした。この時,徳治郎が貫き通したかったことは,自分が考案して母を痛みから救うことができたあの“手当て”を守り通すことでした。日本政府はGHQの主導により『あん摩,はり,きゅう,柔道整復等営業法』の制定に踏み切りました。この法律によれば,それまで届出れば認められてきた指圧その他の民間療法は, 8年間の営業許可猶予期間が与えられたものの,8年後の昭和30年に国会の審議により禁止させるという方針の下におかれることになりました。

    この8年は正に試練の時でした。8年後の法改正の時までに,指圧をあん摩や,はりや,きゅうとは異なる独自の治療法であることを社会に認めさせなければならなかったからです。徳治郎を始め日本指圧学院の卒業生たちは,指圧の存続をかけて努力に努力を重ねていきました。命懸けの努力だったに違いありません。その努力が少しずつ実り,指圧があん摩とも,はりとも,きゅうとも異なる全く別の健全で有効な療法であることが徐々に認知されていきました。

     

     

    8年間の猶予期間が終了した昭和30年に政府の予定通り第22国会において『あん摩,はり,きゅう,柔道整復等営業法』の改正案が提出されました。それを受け,参議院社会労働委員会において各業界より参考人を招聘(しょうへい)して公聴会が開かれました。この公聴会での討議により,政府原案にあった『あん摩』という表現を『あん摩(マッサージ,指圧を含む)』という文言に変更させることができました。その公聴会では,あん摩と指圧の関係,指圧と他の医療行為の関係なども討議されました。法改正に向けてのこの公聴会は,指圧の歴史上極めて重要なものでした。それは,この公聴会によって初めて法律条文に『指圧』という言葉が登場することになったからです。

    このような経緯を経て,指圧は独自の療法であることを公に認めさせることができました。しかし,その他の民間療法は残念ながら3年以内に転業もしくは廃業せざるを得ないという厳しい結果となりました。これが歴史上の大きな転換期でした。

    この法改正によって指圧は社会的に認知されるものになりました。公聴会に参考人とし参加された先生方からは後に指圧に関する多くの著書が世に出され,療法として指圧の名が社会に広められていきました。昭和32年には指圧の定義を定めた厚生省の教本も発行されました。そして浪越徳治郎が創設した日本指圧学院は厚生省認定校となりました。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no.9, 2017掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

     

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  • 算命学の泉 San-Mei-Gaku Divination[2]

    算命学の泉[2]

    尾崎 光越(www.honkakuuranai.com)

     

     

    運命のバイオリズムと心の真理<その1>

    前回,人間の人生における宿命と言われる変わりようがないものは,運命の半分でしかないと述べさせていただきました。そこで,今回は変わらない宿命と残りの半分がどのように運命を形成していくのかをお話したいと思います。

    運命は絶対的なものというイメージを持ち,初めから人の外側にあって人間を縛(しば)りつけている縄のような存在として捉えられていることが多いと思います。しかし,運命は人の外側にあるものではなく人と共にあるものなのです。

    では,変えることが難しい宿命とは何かというと,「人は死ぬ」というような免れられない事実や,人種や両親の選択,生まれたときの国籍,性別,きょうだいの中の位置関係,両親から受け継いだ遺伝子など,自分で選択出来ないものを意味しています。最近では国籍や性別など変えられる場合もありますが,例えそれらを変えたとしても生まれたときに授かったものの影響は免れることはできないでしょう。

    しかし,宿命の中には性格や感覚や素質や考え方の傾向などのように,それ自身の質を変えることはできませんが,表現や行動の仕方を自分の意志や考え方で変えることが出来るものもあるのです。運命を創る半分とはこの意志や考え方に基づいた行動なのです。

    宿命が現状に適するように行動が宿命を生かすものであれば,結果,良い運命をもたらすことになります。反対に宿命を壊す働きをしてしまえば,せっかくの有り難い宿命も良い運命をもたらしてくれません。

     

     

    そして,それらの方向を決める考え方や行動は,大勢の人との関係の中で現れてきます。それを集団のサイクルといいます。集団のサイクルはその人に備わっている宿命や本性の傾向や特徴を映し出す影絵のようなものと言っても良いでしょう。

    例えば,「我が強い」という宿命を持った人がいたとします。この人は集団のサイクルのなかで自然に我の強さを発揮します。それは宿命通りに生きているわけですが,大切なことは強い我をどのように発揮したかにかかわります。苦しい中でも最後まで頑張り続けて周りの人に認められたり,良いリーダーとして仲間を引っ張って事を成し遂げたり,周りの人を助けたり等のように逞(たくま)しく大きく豊かな人として生きれば,運命は間違いなく上がります。反対に独りよがりで傲慢な態度を取り続ければ,運命は確実に下がります。すなわち,運命を良くするためには,『どの様な意志や考え方をもって行動することが宿命を生かすことに結びつくのかを学習すること』が不可欠になります。例え算命学でも,占いに頼りきって答えが出せないのは,このことによります。

    人は我の強い人として生まれれば,最後まで我の強い人として生きるものです。時々,芯は強くても円満で柔和な感じの人に出会うことがあります。その人は相当に良い考え方と意志によって自分を磨き,運命を高める事に成功したのでしょう。

    世の中には何事もすいすいとこなして行く人がいます。一見良く見えますが,どこか軽薄な感じがします。しかし,良い自分の意志と良い考え方を身に付けて努力を重ねてきた人は,落ち着きと品格を感じさせるものです。すなわち,良い運命を創るには宿命を生かす理性や知性が大切なのです。それには,先ず自分を知ることだと思います。

    私の専門とする算命学は,人生に迷った時に一呼吸入れて自分を見つめ直すことが出来るように,授けられた宿命を皆さまにお伝えして,より良い道を選択しより良い運命を迎えていただくお手伝いをするための学問です。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no. 5, 2014に掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

    Copyright © 2013-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

     

    算明学の泉[1]<

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    > 算明学の泉[4]

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  • 算命学の泉 San-Mei-Gaku Divination[3]

    算命学の泉[3]

    尾崎 光越(www.honkakuuranai.com

     

     

    運命のバイオリズムと心の真理<その2>

    これまでの2回の連載で,私たちは宿命を自分自身で変えるのは難しいのですが,運命は自分の考え方と行動の仕方で変えられること,そして,良い運命をもたらす考え方や行動は集団のサイクルといわれる,ひととの関係の持ち方によって表れてくるとお伝えしました。今回は良い運命をもたらす考え方や行動はどの様に生まれてくるのかという,自然の法則について述べてみたいと思います。

    私たちは誰しも宿命という本性の中に「我」を持っています。「三つ子の魂百まで」というように,小さい時に「我」が強いひとは歳老いるまで「我」が強いまま生きます。しかし,「我」が強くても強くなくても,人間の基本的な要求は「我」から出発しています。あるひとは「我」を通そうと喧嘩をしたり,口論をしたり,相手をののしったりもします。また,あるひとは「我」を通そうとひとを騙したり,嘘をついたりします。子どもは駄々(だだ)をこねたり,泣いたりして「我」を通そうとします。

    「我」を通すと,ひとはどうなるのでしょうか。大きな「我」を通すと,そのことで得られたことへの満足度は,きっと大きいでしょう。深い喜びに酔いしれることもできます。しかし,その満足や喜びは長くは続いてくれません。やがて訪れるのは,虚脱感ともいえる孤独です。なぜなら,「我」を満たした後,人間は最も深い孤独を感じるように創られているのです。通した「我」が大きければ大きいだけ,孤独も大きくなるわけです。

    身近な例でいえば,夫婦喧嘩をしたときのことを考えて下さい。言いたいことを言って「我」を出し切った後,何を感じますか。また,結婚していない方は恋人との喧嘩の時のことを考えて下さい。きょうだい喧嘩でも,友だちとの喧嘩でもよいのです。すさまじい言い合いをして疲れた後に,虚脱感に襲われた経験をされたことはありませんか。

    やがてこの虚脱感が孤独に変わり,何であんなひどいことを言ってしまったのか,自分が解らなくなったことがあるでしょう。そうかと思えば,まだまだ相手の悪いところばかりが眼について,自己防衛に徹するかもしれません。しかし,どちらにしても孤独は襲いかかってくるものです。

    「我」は自分を守る本能でもあるので,「我」を通すことは自分を主張することと言い換えることもできます。ですから,自分を主張した先にあるものが孤独なのです。最近は自己主張をすることが良いことのようにいわれますが,これは「自分を主張して,しっかり孤独になりなさい」といわれているのと同じと考えてください。

     

     

    ひとは孤独の中に生きている時,自分を見ています。何かが動き始めています。やがて,孤独はしんみりとした淋しさに変わっていきます。しんみりとした淋しさが訪れる時,そこに見ているのはもう自分だけではなくなっているのです。今まで喧嘩していた相手の姿がそこに登場します。自分の主張だけでなく,相手の言い分を客観的に見られる力を得ることができたのです。即ち,孤独の先にあるもの,それは愛情と奉仕の世界なのです。

    私は仕事柄,多くの方の人生に関わらせて頂いてきました。鑑定においでになる方は何か心配なことをお持ちです。その方の宿命からすれば,良い運命を開くことができる方なのにどうしてと思うことがあります。その原因は孤独に出会っていないことが多いのです。親から何不自由ない生活を送らせてもらっているにもかかわらず,自分の運命の開き方を学んでいないのです。不自由をさせた方が良いということではなく,どこかで孤独を味合うことが大切だということです。

    10代から20代の間に孤独の経験をしたひとは,自分の人生に責任を持つ生き方をします。ただし,孤独の程度には気をつけてあげなければなりません。孤独が強すぎると心がひねくれて,自分を見つめる力を育てるどころか,他人を恨むことにもなりかねません。孤独の世界を通って,愛情の世界へ入っていくひとに育てることが大切なのです。その姿勢は自然に良い運命の開き方を導いていきます。そこまでいけば,もう生年月日に関係のない心の世界に到達したといえるでしょう。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no. 7, 2015に掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

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  • 算命学の泉 San-Mei-Gaku Divination[4]

    算命学の泉[4]

    尾崎 光越(www.honkakuuranai.com

     

     

    宿命を知る

    「宿命を知り運命を生かす」

    前回は,孤独を経験することを通して,人は生きるための本当の方向を感じられる存在であることをお伝えしました。今回は,宿命を知るにはどのようにしたら良いのかについて述べさせていただきます。

    宿命とは自らに備わっている本質です。初めから本質が解っていたら苦労はしません。それが解らないからこそ占い師の仕事があるともいえるのですが,それでは何を決めるのにも占い師がいなければなりません。すべてのことを占い師に決めてもらっても,決して良い運命はもたらされません。何故なら,運命は自分で切り開くものだからです。しかし,占い師なしでどのように自分の宿命を知ることができるのでしょうか。

    それには,先ず自分の人生は自分の責任で生きるという姿勢が大切です。そして,自分を知ろうとする心構えが必要です。いたずらに他人の生き方にあこがれて真似をするのではなく,自分のもつ力を生かそうとする意欲を持つことです。

    例えば,宿命のひとつである生命力は,弱い人もいますし,強い人もいます。小さい時から身体の弱い人は何となく自分の生命力を知ることができます。しかし,生命力が弱いということは運命が弱いことではありません。弱い星で生命力が弱ければ,それに合う人生の設計をして強く命を運ぶ運命を創れば,強運の人生を過ごすことができます。「一病息災」といわれるのもそのひとつの例でしょう。

    そのために,私は人生の初めの時期に自分の宿命である本質を知る努力をすることが大切だと考えます。できる限りいろいろな経験をしてほしいのです。人生の流れを運命の世界で見た場合,子ども時代,青年時代,壮年期,晩年期そして最後の死の世界に分かれます。長い人生を同じテンポで歩むのではなく,子ども時代から青年時代までは壮年期以降の人生作りのための準備期間と考えて,自分に合うものと合わないものを選別できる感覚を身に付けるために,忙しくチャレンジをすることが良いと思います。

     

     

    例えば,自分の本質に合った職業をさがすのにも,いろいろな出来事にぶつかる必要があります。合わないことに出会ってこそ,合うことが解るというものです。世の中には,子どもの適職は何かと占い師の私に聞きにいらっしゃる親御さんがあります。勿論,占い師の立場から「お子さんの占いの上からの本質はこうなので,これこれの仕事に向いているかもしれません。」と答えることはあります。しかし,その親が相談に来るまでの子どもの生き方が宿命に合っている場合とそうでない場合では,アドバイスの仕方は相当変わります。

    それを無視して「あなたの本質はこれなので,今日からそれに合わせて生き方を変えて下さい。」といっても,いわれた本人は混乱するでしょう。星から観た本質にあてはまることを羅列しても決して良い結果にはなりません。ですから,私は必ず「本人が良く考えて決めることですね。」と付け加えます。

    この傾向は人間関係にもあてはまります。よく,相性の良い人と相性の悪い人といういい方を耳にします。恋人との関係を知るにも,結婚相手を選ぶにも相性の良い人に出会いたいと願われます。私たちは様々な人達との関係で生きています。その中には,何となく好意を持てる人もいれば,何となく嫌な人もいます。それが相性ですが,相性が良さそうだから付き合う,また相性が悪そうだから付き合わないというのは良くありません。

    相性が良くない人というのは,自分と異なる感覚や考え方を持っているという側面もあります。ですから,若い時代にはいろいろな人を知り,付き合ってみることです。但し,相性があまり良くないと感じた場合には,その事実を頭の中で判断しておく必要はあるでしょう。その場合は,無理に合わせて深入りしようとせず,聞き役にまわって関係を保つのも良いでしょう。

    小さい時に友だちと喧嘩したり仲良くしたりしながら成長するのが良いのはこのことです。ですから,子ども時代から青年期にかけては,せいぜいいろいろな人と付き合って下さい。友だちが10人いたとしたら,6人は相性の良い人,後の4人は良くない人くらいの割合で付き合えれば良いのです。きっと,人間のスケールが大きくなり,自分の本質にも気づくことができるでしょう。

     

    本稿はJaponism Victoria, vol.8 no. 7, 2015に掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

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  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[2]

    カナダにいても和風献立[2]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回より普段の食事に使える実用レシピをご紹介します。市販の料理本にはないような,家の冷蔵庫の中やお台所にいつも常備している食材を使って,とっても簡単で美味しい料理ができるレシピです。とびっきりのご馳走ではありませんが,日常の食事作りに活用していただけましたら嬉しいです。第1回の食材は豚肉で,「豚肉のガーリック味噌焼き」と「豚肉ともやしのサラダ」をご紹介します。薄切りがなければ厚切り肉を斜めにカットするか,細く千切りにすればOKです。

     

    豚肉のガーリック味噌焼き

    にんにくと味噌の相性抜群の豚肉料理!!

    《材料》

    • 豚薄切り肉(焼肉用) 約450g
    • 味噌 大さじ1~2
    • おろしにんにく 小さじ1~2
    • ほんてり 大さじ1

    (味付けはお好みで調節してください)

    《調理》

    1. 材料すべてをビニール袋の中に入れ混ぜ合わせ,30分くらい冷蔵庫に入れて漬け込む。
    2. フライパンを熱し中火で焼く。焼き色がついたらひっくり返す。
    3. 焼けてくるとハネるので火傷に気を付けて。これでできあがり!

    大根おろしやきざみキャベツを添えて召し上がれ。肉汁を付け合せのキャベツにかけるのも良し!

     

     

    豚肉ともやしのサラダ

    《材料》

    • 豚かたまり肉 適量
    • もやし 200g程度(オーガニックもので1袋)
    • ▽ドレッシング材料
    • からし(市販の辛いマスタードでも可) 小さじ1(お好みで調節)
    • マヨネーズ 大さじ1
    • 穀物酢 大さじ2
    • 塩・こしょう 少々

    《調理》

    1. 豚かたまり肉を中まで火が通るまで茹でる。
    2. もやしはきれいに洗い,ざるに入れて水気を切る。
    3. ドレッシングの材料を混ぜ合わせ,味を調えて冷蔵庫へ。
    4. 茹で上がった豚肉を冷ました後,薄くスライスする。
    5. 大きめのボールにもやしを入れ,切った豚をのせて冷蔵庫で冷やす。
    6. ドレッシングをたっぷりかけて,できあがり。

    お好みでコレアンダー(チャイニーズパセリ)を上に散らしてもよいですよ。

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.3, no.4, 2009掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

    カナダにいても和風献立[1]<

    > カナダにいても和風献立[3]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[3]

    カナダにいても和風献立[3]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材はきゅうり。「鮭ときゅうりのまぜごはん」と「ツナときゅうりの和風パスタ」の二品をご紹介します。日本のきゅうりは細くてパリッとしておいしいのですが,こちらで手に入るロング・イングリッシュ・キュウカンバー(Long English cucumber)でも十分に代用できます。

     

    鮭ときゅうりのまぜごはん

    きゅうりの歯ごたえがいい感じです

    《材料》

    • サーモン切り身
    • きゅうり
    • ふえるわかめ 適量
    • 塩 適量
    • ごはん 人数分

    《調理》

    1. サーモンは塩をふってオーブンまたはオーブントースターで焼き(電子レンジで加熱するのも可),骨を取り除いてほぐしておく。
    2. わかめは水につけて戻しておく。
    3. きゅうりは薄い千切りで塩もみする。
    4. 温かいごはんにほぐしたサーモン,水を切ったわかめときゅうり加え,軽く混ぜる。
    5. お好みでごまをふりかけてできあがり!

    ごはんに味つけしないのでサーモンの塩加減で調節してください。サーモンの代わりにしらす,うなぎを使っても美味しいですよ。

     

     

    ツナときゅうりのパスタ

    暑いときにはこんな冷たい和風パスタはいかが?

    《材料》

    • ツナ缶またはまぐろを塩ゆでしたもの
    • きゅうり
    • 焼き海苔
    • しょうゆ
    • マヨネーズ
    • スパゲティーまたはマカロニなど(人数分)
    • オリーブ油
    • 塩・コショウ 少々

    《調理》

    1. きゅうりを薄切りにして塩をもんでおく。
    2. パスタをゆででザルにあげ,オリーブ油をかける。
    3. ツナをほぐし,塩もみしたきゅうりを混ぜ,マヨネーズ,酢,塩コショウで味付けする。
    4. ゆでたパスタにきゅうりとツナの混ぜ合わせを入れ,ざっとからませて冷蔵庫で冷やし,皿に盛る。
    5. しょうゆをかけて,刻んだ焼き海苔をふりかけて召し上がれ。

    お好みでアボカドのスライスを加えてもおいしいですよ。

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.3 no.5, 2009掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[2]<

    > カナダにいても和風献立[4](予定)

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[4]

    カナダにいても和風献立[4]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「残りごはん」です。日本人ならやっぱりごはんですよね。カナダでも幸いにカリフォルニアからのお米が手に入るので嬉しいことです。炊きたてでなくても,冷蔵庫に残っている冷やごはんで作れるとっておきのレシピをふたつご紹介します。

     

    ごはんピザ

    好評レシピです!

    《材料》

    • 冷やごはん・・人数分
    • ピザソース
    • たまねぎ・・少々(スライスしておく)
    • ピーマン,マッシュルームなど適量(スライスしておく)
    • ピザ用チーズ・・適量
    • 刻み海苔・・お好みで少々

    《調理》

    1. 冷やごはんを電子レンジで温める。
    2. ラップにソフトボール大のごはんを包み込み,必要であれば少し水を加え,丸めてからピザの台の形に整える(人数分)。
    3. ピザ形にしたごはんをオーブン用トレイにならべ,その上にピザソース,スライスしたたまねぎなどの野菜とチーズをのせる。
    4. これを中火のオーブンに入れ,チーズが溶けて少し焦げ目がついたらできあがり。

    食べるときにお好みで刻み海苔をふりかけて!

     

     

    にんにくチャーハン

    我が家の定番! 簡単でとてもおいしい!

    《材料》

    • 冷やごはん・・人数分
    • にんにく・・1人分2カケx人数分
    • 青ねぎ・・1人分1本x人数分
    • 油(お好みでごま油を加える)・・少々
    • 塩・コショウ
    • しょうゆ

    《調理》

    1. 熱したフライパンに油(お好みでごま油も)をひき,弱火にして,皮をむいて刻んだにんにくと青ねぎをかおりがするまで炒める。
    2. フライパンに少し温めたごはんを加え,強火で炒め塩コショウする。
    3. 最後に香りつけのしょうゆを回し入れてできあがり。

    できあがったチャーハンを平らなバットに入れてオーブンで軽く焼いても香ばしくておいしいですよ。

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.4, no.1, 2009掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[3]<

    > カナダにいても和風献立[5]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[5]

    カナダにいても和風献立[5]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「鶏のひき肉」です。鶏ひき肉が手に入らないときは turkeyの挽き肉でも代用できます。ヘルシーで栄養豊富な鶏ひき肉使った簡単レシピをふたつご紹介します。

     

    鶏団子なべ

    寒い日はぽかぽか温まるお鍋はいかが? 冷蔵庫にある野菜や白身魚,肉団子を入れます。残り汁で作るぞうすいはまた格別!

    《材料》

    • 白菜
    • キャベツ
    • うどん
    • もめんとうふ
    • 鶏ひき肉
    • 白身の魚など
    • 玉子
    • 小麦粉少々
    • ほうれん草
    • ねぎ

    などなどを適宜に

    《調理》

    1. 鶏ひき肉に玉子を割り入れ,つなぎに小麦粉少々を加え,こねて肉団子にする(しょうが汁を少したらすと臭みが消えます)。
    2. 鍋にお湯をはり,沸騰した中に肉団子と魚を入れる。
    3. 肉団子が浮かんできたら切った野菜・うどん・とうふの順に入れ,少し煮てできあがり。

    お好みでポン酢しょうゆ,大根おろしなどで召し上がれ。

     

     

    ◆鶏そぼろ丼

    お弁当にも最適です。

    《材料》

    • 鶏ひき肉
    • 玉子
    • さやえんどう
    • ごはん
    • つゆまたはしょうゆ
    • みりん・酒またはさとう

    《調理》

    1. 鶏ひき肉を油をひいたフライパンで炒め,つゆとみりん少々を加える。
    2. 別のフライパンでさとう・塩少々を加えた炒り玉子を作る(半熟くらいがおいしい)。
    3. さやえんどうを塩ゆでしたあと細切りにしておく。
    4. あつあつのごはんの上に1~3で作ったつゆ,炒り卵,さやえんどうをそれぞれ彩りよくのせて,できあがり。

    お好みで紅しょうがを添えてもよいでしょう。

     

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.5, no.1, 2010掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[4]<

    > カナダにいても和風献立[6]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[6]

    カナダにいても和風献立[6]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「お豆腐」です。良質な大豆たんぱくが豊富に含まれる健康食品のお豆腐を使ったお料理はいかがでしょう。湯豆腐,冷や奴もおいしいのですが,少し手間をかけるだけで,お豆腐も立派な料理になります。

     

    コロコロ揚げ豆腐

    《材料》

    • もめん豆腐 1丁
    • 片栗粉(または米粉,小麦粉など)
    • めんつゆ 適量
    • 黒砂糖(ブラウンシュガー) お好みで加減してください
    • おろししょうが・大根おろし

    《調理》

    1. もめん豆腐を少し大きめの一口大に切り,水分を切っておく。
    2. 片栗粉を切った豆腐のまわりにつけて,熱した油で揚げる。
    3. 暖めためんつゆに黒砂糖を加え溶かす。
    4. 油で揚げた豆腐を皿に盛り,お好みでおろししょうが,大根おろしを添えて揚げたてをアツアツのうちに3のつゆをつけながら召し上がれ。

    トッピングにきざみねぎ,きざみのりなどを飾ると見た目も鮮やかに。

     

     

    ◆豆腐のステーキ

    冷奴もいいけれど,時にはこんな風にメインディッシュとしても

    《材料》

    • もめん豆腐 1丁(なるべくオーガニックなど上質なもの)
    • バター 適量
    • 塩コショウ
    • しょうゆ 少々(お好みで)
    • 付け合わせ野菜(炒めたマッシュルームやズッキーニ,にんじんのグラッセなど)

    《調理》

    1. 豆腐は布巾にくるみ,水分を取るためにしばらく置いておく。
    2. 水気を取った豆腐を真横から半分に切り分ける,軽く塩コショウをしておく。
    3. 熱したフライパンにバターを溶かし,豆腐を入れて両面がきつね色になるまで焼く。
    4. 豆腐を皿にのせ,彩りよく付け合せの野菜などを添えてできあがり。
    5. 召し上がるとき,少しだけおしょうゆをたらすと香りがいいです!!

     

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.5, no.2, 2010掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[5]<

    > カナダにいても和風献立[7]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[7]

    カナダにいても和風献立[7]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「こんにゃく」です。食物繊維たっぷりの健康食品ですので,たくさん食べて腸をきれいにしましょう。少しの手間でおいしく召し上がれる簡単レシピをふたつご紹介します。

     

    こんにゃくの味噌炒め

    《材料》

    • こんにゃく
    • みそ+しょうが汁+みりん(またはさとう)を予めまぜておく
    • 油+ごま油

    《調理》

    1. こんにゃくを適当な厚さに薄切りにする。
    2. 油とゴマ油を加え熱したフライパンにこんにゃくを入れ炒める。
    3. みそ+しょうが汁+みりんをこんにゃくにからませてさらに炒め,焼き色をつける。これでできあがり!

    *みそをフライパンに入れるとはねるので火傷に注意してください。

     

     

    ◆こんにゃくのくずもち風

    おかずというよりもヘルシーなデザートやおやつ感覚で

    《材料》

    • こんにゃく
    • ブラウンシュガー
    • さとう
    • きな粉

    《調理》

    1. こんにゃくは好みの大きさに切り,軽く湯通しして冷水に入れておく。
    2. ブラウンシュガー,さとう,水を煮込んで黒みつを作り,冷ます。
    3. 水気を切ったこんにゃくにきな粉をふりかけ,みつを上からかけてできあがり!

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.5, no.3, 2010掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[6]<

    > カナダにいても和風献立[8]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[8]

    カナダにいても和風献立[8]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材はさんま(秋刀魚)です。生ものが入手できる場所は限られていますが,冷凍物ならはスーパーでも比較的手に入りやすい食材です。手軽でおいしいさんま料理をご紹介します。ぜひお試しください。

     

    さんまの竜田揚げ

    《材料》

    • さんま
    • さとう
    • みりん,または酒
    • しょうゆ・つゆ
    • しょうが汁
    • 片栗粉,またはコーンスターチ
    • 食用油

    《調理》

    1. 冷凍さんまを半解凍の状態にし,1センチ幅くらいに切る。
    2. 切ったさんまをさとう,みりん,しょうゆ,しょうが汁で味付けし,ビニール袋に入れ30分くらい冷蔵庫に入れておく。
    3. さんまと取り出し,片栗粉をつけて少し低めの温度の油(衣がいったん沈んで浮き上がる程度)で焦がさないようにじっくり揚げる。
    4. レモン,大根おろしなどを添えてめしあがれ!

     

     

    さんまのトマト煮

    《材料》

    • さんま 3本
    • オリーブ油 大さじ5
    • にんにく 1塊
    • トマト缶 大1缶
    • 月桂樹の葉 数枚
    • 塩・こしょう 少々

    《調理》

    1. にんにくの皮をむき,みじん切りにする。
    2. フライパンを熱してオリーブ油を入れ,みじん切りにしたにんにくと,頭を取って3等分に切ったさんまを炒め,塩こしょうで味付けする。
    3. フライパンにトマト缶を開けて加え,月桂樹の葉を入れてフタをし,中~弱火で2時間ほど煮込んだらできあがり!

    お好みのパスタのソースとして使うのもいいです!!

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.5, no.5, 2010掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[7]<

    > カナダにいても和風献立[9]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[9]

    カナダにいても和風献立[9]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「あぶらあげ」です。日本食材のお店に行けば生ものと冷凍物が手に入ります。生ものも冷凍すれば日持ちしますので,冷凍庫に常備しておきたい一品です。今回はこの「あぶらあげ」を使ったレシピを二品ご紹介します。お味噌汁やおいなりさんの他に,こんな食べ方はいかがでしょう。

     

    ◆焼きあぶらあげ

    超簡単! お酒のおつまみに最適!

    《材料》

    • あぶらあげのみ! (1枚~数枚を適宜に)

    《調理》

    1. あぶらあげをスティック状に切る(調理用はさみを使うと簡単です)。
    2. 切ったあぶらあげをアルミホイルの上に置いて,オーブントースターで焼く。
    3. 焼き色がついたらひっくり返してトースターの熱源を切る(あとは余熱で)。

    これでできあがり!

    お好みでしょうゆ,唐辛子,マヨネーズなどをつけて。

    おやつ感覚でそのままシャリシャリ食べてもGood!

     

     

    ◆白菜,春菊とあぶらあげの煮びたし

    薄めの味付けですので,好みで加減してください。

    《材料》

    • 白菜 3~4枚
    • 春菊(あれば)適量
    • あぶらあげ 1枚
    • だし汁(または熱湯+ほんだし少々) 1カップ
    • つゆ(またはしょうゆ) 大さじ2
    • みりん(またはさとう) 小さじ1

    《調理》

    1. 白菜,春菊,あぶらあげを熱湯に入れて軽く茹(ゆ)でる。
    2. 茹でた野菜の水気を切り,それぞれ適当な大きさに切る。
    3. なべにだし汁,つゆ,さとうを入れ,ひと煮立ちさせる。
    4. 火を止めて,なべに2の切った野菜を加え味をしみ込ませる。
    5. 最後に器に盛って,できあがり。

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.5, no.7, 2010掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[8]<

    > カナダにいても和風献立[10]

     

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[10]

    カナダにいても和風献立[10]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「豚肉」です。寒いときには風邪の予防にタンパク質をとるとよいですね。今回は良質なタンパク質が豊富に含まれる豚肉のお料理を二品ご紹介します。

     

    焼豚どんぶり

    《材料》

    • 豚肉(かたまり)適量
    • しょうゆ 少々
    • みりん または酒 少々
    • ごはん 適量
    • きざみのり
    • きざみねぎ

    《調理》

    1. 豚肉をそのままたっぷりのお湯に入れ,全体が柔らかくなるまでゆでる(1時間から2時間くらい)。
    2. ゆでた豚肉を冷ましてビニール袋(ジップロックなど)に入れ,しょうゆとみりんを加える。
    3. 袋の空気を抜き,冷蔵庫に入れて一晩置き,適当な厚さにスライスする。
    4. これをあつあつごはんの上にのせたらできあがり。

    お好みできざみのりやきざみねぎをトッピングしてください。

     

     

    豚肉の味噌炒め

    薄めの味付けですので,好みで加減してください。

    《材料》

    • 豚肉(かたまり または角切りになっているもの)
    • しょうが汁 少々
    • みそ 適量
    • 酒 少々
    • さとう 少々
    • 豆板醤(とうばんじゃん) 適量
    • 長ネギ 数本
    • しお・コショウ 少々

    《調理》

    1. 豚肉を適当な大きさ(2.5センチ角くらい)に切る。
    2. 切った豚肉にしょうが汁をたらし軽くまぜ,豚肉のくさみを取る。
    3. 熱したフライパンに油を敷き,粗くざく切りにした長ネギを強火で炒め,しお・コショウで軽く味付けする。
    4. ネギを取り出し,フライパンをキッチンペーパーで軽く拭き,油を加えて豚肉を強火で焼く。
    5. 肉に火が通ったら,みそ・酒・さとう・豆板醤をまぜあわせたものと,3のネギを加え軽く炒める。これでできあがり!

    豆板醤で好みの辛さに調節してください。

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.6, no.1, 2011掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[9]<

    > カナダにいても和風献立[11]

     

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[11]

    カナダにいても和風献立[11]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「キャベツ」です。キャベツ本来の旬(しゅん)は春で,春キャベツは柔らかくておいしいのですが,今ではキャベツは年間を通して手に入ります。カナダのキャベツは日本のものよりも少し硬いのですが,工夫すればおいしく召し上がれます。今回も簡単レシピをふたつご紹介します。

     

    キャベツのさわやかコールスロー

    レモンの皮が入って酸味がとっても爽(さわ)やかなコールスローサラダです。

    《材料》

    • キャベツ 適量
    • にんじん 適量
    • ドレッシング用:
    • オリーブオイル
    • レモン汁
    • レモンの皮のみじん切り(なるべく有機のものを)
    • 塩・こしょう 少々
    • しょうゆ 少々
    • さとう 少々

    《調理》

    1. キャベツとにんじんを細かくみじん切りにし,それぞれ冷水に浸しておく。
    2. ドレッシングの材料をすべて合わせ,水気を切ったキャベツにたっぷりかけてザッとまぜる。冷蔵庫に入れて冷やしておく。

    これでできあがり! キャベツが硬くで食べにくいときは,ざっと湯通しするとよいでしょう。

     

     

    超簡単ロールキャベツ

    面倒なスタッフィング作りは一切なし。お好みの生ソーセージを包んでレッツトライ!

    《材料》

    • キャベツ
    • ホールトマト缶(大)
    • 月桂樹の葉 数枚
    • 市販の生ソーセージ 数本
    • 塩・こしょう 少々
    • 赤ワイン 少々

    《調理》

    1. 生ソーセージを軽く湯に通し,大きいものは半分に切る。
    2. キャベツの葉でソーセージを包み,楊枝でとめて,フライパンか浅いなべに並べて置く。
    3. フライパン(なべ)のソーセージに缶のホールトマトを加え,月桂樹の葉を入れる。フタをして中火で煮込む。
    4. 最後に塩・こしょうで味を調え,あれば赤ワインを加える。
    5. 火をとめてできあがり!

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.6, no.2, 2011掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[10]<

    > カナダにいても和風献立[12]

     

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[12]

    カナダにいても和風献立[12]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「ひき肉」です。ビクトリアでは牛,豚,鶏のほかにも,いろいろなひき肉が手に入りますね。おいしい簡単レシピをふたつご紹介します。このレシピでは豚肉が一番合うと思いますが,他のひき肉でも試してみてはいかがでしょう。

     

    肉団子

    炒めた玉ねぎのみじん切りを入れる手間を省きましたが,簡単でおいしいですよ!

    《材料》

    • ひき肉 200gくらい
    • たまご 1コ
    • しょうが汁 少々
    • しお・こしょう 少々
    • コーンスターチ 大さじ1
    • 水 大さじ4
    • しょうゆ 大さじ2
    • さとう 大さじ3

    《調理》

    1. ボールにひき肉と玉子の割りほごしたもの,おろししょうがのしぼり汁,しお・こしょうを加えまぜる。
    2. ひき肉を2センチほどの大きさに丸め,ふっとうした鍋の湯の中に入れ,浮き上がったら取り出す。
    3. 小さなフライパンか浅いなべに,さとう,しょうゆ,水でといたコーンスターチを入れて中火にかけ,よくまぜて甘だれを作る。
    4. 甘だれが固まり始めてグツグツしてきたら2の肉団子を入れてからめる。

    これでできあがり!

     

     

    ピーマンの肉詰め

    こちらのピーマンは大きいので,なるべく小さめのものを選んでください。電子レンジを使ってスピード調理!

    《材料》

    • ピーマン 1~2個
    • ひき肉 適量
    • しお・こしょう 少々
    • 食用油

    《調理》

    1. ピーマンを4分の1の大きさに切る。
    2. 切ったピーマンにひき肉を詰め込む。加熱すると中身が出てくることがありますので,しっかりと詰めてください。
    3. 肉を詰めたピーマンに,しお・こしょうをして,耐熱容器に入れ,ラップをして電子レンジへ。ピーマン1個,4切れで2分くらいが目安。
    4. 熱したフライパンに油を入れ,電子レンジから取り出したピーマンの両面を,ほどよい焼き色がつくように焼く。これでできあがり!

    ケチャップまたはからししょうゆで召し上がれ!

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.6, no.2, 2011掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

    カナダにいても和風献立[11]<

    > カナダにいても和風献立[13]

     

     

  • カナダにいても和風献立 Japan taste recipe[13]

    カナダにいても和風献立[13]

    蔭地 宏美 @ Sushi Plus Restaurant (Victoria, BC, Canada)

     

     

    今回のメイン食材は「大根」です。最近はカナダのスーパーでも大根が手に入るようになりました。日本の大根ほどおいしくないのが残念ですが,根菜類は身体を保温するといわれています。こんなお料理で厳しいカナダの冬を乗り越えましょう!

     

    ◆お野菜大集合スープ

    我家では,冷蔵庫内の野菜の残りが少なくなると,このスープを作ります。不足しがちなビタミンCの摂取,そしていろいろな野菜の味の共演が楽しめます!!

    《材料》

    • 玉ねぎ
    • 野菜(大根,にんじん,じゃがいも,白菜,キャベツなど。種類が多いほどおいしくなります)
    • あればマッシュルームや豆なども
    • スープベース(コンソメをお湯で溶かしたもの,または水+かつおだしなど)
    • 牛乳 少々

    《調理》

    1. 玉ねぎをみじん切りにする。
    2. 他の野菜は1センチくらいのサイコロ状に切る。
    3. フライパンにバターを入れて熱し,みじん切りした玉ねぎを加え,きつね色になるまでよく炒め,塩こしょうで味付けする。(中火)
    4. 他の野菜を加え,強火にして手早く炒め,野菜が浸るくらいのスープベースを加えて煮る。
    5. 野菜に火が通ったら牛乳を加え,火を止めてできあがり。

     

     

    ◆大根のステーキ

    野菜でステーキ? と思われるかもしれませんが,思い切ってメインデッシュにしてみました。

    《材料》

    • 大根
    • ラード(なければ食用油)
    • 砂糖 適量
    • しょうゆ 適量
    • みりんまたは酒 適量

    《調理》

    1. 大根の皮をむき,2センチくらいの輪切りにする。
    2. なべにたっぷりの水を入れ,輪切りにした大根をでゆでる。
    3. 大根が中までやわらかくなったら,大根を取り出し,水気を切る(ゆで汁を少しだけ残しておく)。
    4. 熱したフライパンにラードを入れ,煙が立ったら3の大根の両面を焼き,色がつくまでしっかりと焼く。
    5. 大根を焼きながらフライパンにゆで汁,砂糖,みりんをまぜたものを流し込み,たれのかおりが立つまで沸騰させ,大根にからめればできあがり!

     

     

     

     

     

     

    本記事はJaponism Victoria, vol.6, no.6, 2011掲載のレシピ記事に加筆修正をしたものです。

     

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